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ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(17/06/30)今こそ野球を語れよ、言葉でな! 今こそ野球を語れよ、言葉でな!

過去記事を転載(17/06/30)

 

自分はどちらかというと反セイバーメトリクスである。

 

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@12球団の選手名、昔はホントに全部覚えてたのだ

おっさんになるとイヤらしく損得で動いてしまうものだが、若者は意味のないものに情熱を傾けてしまうことがある。自分の場合は小学生や中学生の頃、84年から85年あたりのプロ野球選手の名前と顔を全員記憶していたことがある。当時1球団60人制だったから、12球団で720人。ほんとに野球が好きで、毎日のように選手名鑑をパラパラめくりながら野球中継をみてたら、自然と頭に入ってしまったのだ。今思えばそんなことより英単語でも覚えればよかった、と真剣に後悔しているのだが・・・若さゆえの無駄である。

 

しかし、あの頃の野球にはそれだけの魅力があったこともまた事実である。ホームランしか狙わないフルスイングの門田、孤高の打撃職人である落合、スーパースター原辰徳、元気印の中畑清マサカリ投法村田兆治などなど・・・とにかく選手が個性的だった。

 

「ああ、おっさんの昔はよかった話か」ここまで読んだ今の若い人はそう思うかもしれない。いけないいけない、オレも昔自慢する大人になっちまったなあ・・・なんて反省はしない!若者よ、はっきりと言ってやる「昔の選手のほうが個性的だったし、面白かった」ほんとにそう思う。あ、やっぱりごめん。若者のみなさん、どこか行かないで・・・まあ、最後まで読んで欲しい。

 

@個性がない選手が「いい選手」の時代

ではなぜ個性がなくなってしまったのか。それは「いい選手」の定義が変わってしまったからである。「セイバーメトリクス」という考えが日本でもこの10年かなり浸透してきた。野球ファンにとっては、MLBのアスレチックスがセイバーメトリクスを選手編成に取り入れた効果で優勝し、その記録である書籍「マネーボール」がベストセラーになったことを覚えているだろう。セイバーメトリクスという言葉は、いろんな意味合いで使われたりするの注意が必要だけど、簡単に言うと「先入観にとらわれず、数値による統計データだけで野球のプレイを判断する」という考え方だ。

 

ちょっとこのあたり説明しだすと長くなりすぎるので、要点だけ抑えておこう。ほんとにざっくりなので、詳しい人は、こまけーツッコミはなしでお願いしたい。

 

たとえばホームラン40本打つけど、三振が多く守備がド下手な選手がいるとする。イメージだけで言うとホームラン40本打つという派手な方に注目がいってマイナス面にはあまり気にしない。しかしセイバーメトリクスという観点でその選手の試合に対する貢献度を数値化してみると、ホームラン40本打つことのメリットより、三振が多く守備がヘタだというデメリットがうわまっているのがデータでわかるようになってきたのだ。

 

つまりは現在のプロ野球において、「いい選手」とはプラス面以上のマイナス要素がない「欠点のない選手」である。バッティングは3割打つけど守備がヘタ。守備がめっちゃうまいけど打率が1割台とかいう一芸に秀でた「個性的な選手」はいらない。それよりも打率も長打もそこそこで、出塁率が高く、きちんと守ることができ、脚も遅くない、肩も弱くない。そんな全能力で欠点のない、マイナス要素が少ない選手を揃えるほうが野球では勝利につながる。統計データ上の分析だとそうなるらしい。いい選手かどうかを見極めるのに、昔の感性を頼りにしていた時代から、現在はよくも悪くも野球は「データと統計」の時代になったのだ。

 

「平均的な選手ばかりで個性がない。だから今の野球はつまらない」と、単純に言うつもりはない。レベルは上がっているのだろうし、現在の野球も観ていて楽しい。そこは否定しない。じゃあ何が面白くなくなったのかというと、選手の問題じゃない。選手が平均化するのはヨシとしても、その選手を語るファンの方に問題があると思う。

 

 

@数値評価全ての時代

ファン同士が野球の話をする場として、今はネット上で交流することが多い。なんかこう書くと問題ありそうだけど、リアルで野球の話することって少なくなった。野球の話を振っても「そもそも興味ないんで」と冷ややかな視線が返ってくることが多い。それぐらいならまだいいけど、「野球ですかぁ?はぁ?」みたいなケンカなら勝ってやるよ?と言わんばかりの人もいて困ったもんである。野球がこの国の国民的娯楽だったのは、とうの昔の話になってしまった・・

 

ちょっと話が横にそれた。ともかく深く野球の話をしたいと言う人はネットで議論をしている。最近は見てないけど、自分も2chねる全盛の頃にはめちゃめちゃ書き込んでいたのだ。ここだけの話だけど。

 

さて、このネット上の議論ていうのは、みんなでわいわいきゃっきゃっうふふでやっているときはいい。しかし、「どの選手が一番なのか?」のような、比較になると荒れ出して収拾がつかなくなる。そんなときにみんなが納得出来るのは何かというと、数値やデータなんである。別にネット上の野球の議論に限らず、今は世の中すべてそうなんだけど、データっていうのは考え方がちがう人達が理解しあえる共通言語となっている。

 

客観的判断ができる数値で語るのは別に問題ではない。しかし、そこで議論が終わってしまうのはつまらない。たとえば、プロ野球最速のボールを投げたのは誰か?大谷のMAXがスピードガン計測で160km/h、江川が150km/h。大谷のほうが打ちにくい。終了!とか言い出す人がいる。

 

「いやいやスピードガンに現れない打ちにくさとかあるんじゃないの?」「でも江川のほうが早く感じるけどなあ」とか言い出すと、なんか頭悪いと言われかねない。参考要素のひとつとしての数値ではなくて、数値が絶対になりすぎていて、あらがえない空気があるのは残念なところだ。これがネットだけの現象かというと、ネット上だけでなく雑誌や書籍でもそういった傾向は出てきている。世の中全般の空気として広まっているようだ。まあ、そういった本を買うのは、ネット上で議論している野球ファンなんだから、正しくニーズが反映されていたら当たり前か。

 

@今こそ言葉で語れよ野球文学青年

つまりは選手の能力もデータで表され、アベレージ型の選手が評価される時代。そしてファンもデータで野球を語る時代である。

 

だからといってプロ野球から魅力がなくなったとは言わないけど、ちょっと面白くなくなってきてるのではないか。繰り返すが、これは選手の問題ではない。アベレージ型の選手全盛の時代なら、それはそれで面白いのだ。問題はファンの「語り」が面白くなくなってきてるように思う。あまりにもデータだけで語りすぎていないか。数値やデータは誰もが納得できる指標だ。だけどそれは裏を返せば、全てのことがひとつの価値観だけに統一されてしまうということである。それって何というか面白くない。ていうかロマンがない。

 

20年後、「イチローってどんな選手だったの?」って聞かれて「OPSがXXX以上だったんだよ」ってちょっと味気ない。時間がたったとき、お気に入りの選手を数値「だけ」で語るのってつならない。間違いなんてあっていいと思う、どっちが上とか下とかいう結論も必要ない。喧々ガクガクの議論が、言葉の応酬が面白いんじゃないか。

 

もう一度言うけど、数値で語るのも悪くない。しかし、もっと言葉で野球を語ってもいいんじゃないか。ありったけの自分の言葉で好きな野球選手を語ろう。このデータ全盛の時代だからこそ、数値の中に選手が埋もれてしまわぬよう、プロ野球ファンは言葉を尽くすべきではないか。

 

数値って納得はできる。でも心を震わすのは言葉なのだ。このふたつのバランスが大事。ほら、野球だって投打が噛み合わないと勝てないからね。