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ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(15/09/04)ポプコムを語る その8 86年頃の誌面から

過去記事から転載(15/09/04)

 

86年頃のパソコン雑誌が一番面白かったな

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@86年頃の誌面から
86年は自分が初めてのパソコンであるPC88FRを買ってもらった年になります。同時期にポプコムを買い始めて、もう夢中になって読んでました。何もかもが珍しかった中学生の頃、ほんとに本の中に宇宙がありましたね・・・いや笑わないで!ほんと、マジメな話ですよ!。ゲーム、雑誌、本、音楽、ポプコムで紹介されるものが、世界への入り口だった気がします。自分は影響うけまくりでしたね。

@表紙とキャッチコピー



以前までのCGを使った表紙から、芸能人とCGを組み合わせたものに変化しました。ビートたけしとんねるず、ジャッキーチェン、芳本美代子・・などなどが登場し、グっとキャッチーなものになりましたね。CGと芸能人の組みあわせ、というのはポプコムが大きく変化したこの年、新しいモノと、旧いこれまでのモノが重なりあって変わり目にある状態を表していたのでは?と今となって後付けの理由ではそう思えたりします。ただ、表紙の作成はCG時代から続いて、岡本博さんが変わらず担当されていました。

キャッチコピーは変化していません。しかし、このキャッチコピーは86年限りとなります。

@紙面



パソコンゲームの人気上昇にあわせて、ポプコムパソコンゲームの情報誌へと変化します。初期がプログラミングやコンピュータの知識を紹介するコンピュータ総合誌とするなら、パソコンを中心とする総合エンタメ誌の顔をみせはじめたというところでしょうか。パソコンとは直接関係ない書評や映画評なども載るようになり、幅が広がっていきました。※1

大まかにいうと前半のカラーページでは主にゲームの特集。しかし後半の白黒ページではパソコン関係の硬派な記事が健在という二つの顔をもつ構成となっています。え、筆者ですか?ええもちろん白黒ページもよんでましたよ・・・・(´・ω・`)

@カラーページ:ゲーム紹介
雑誌の顔、前半のカラーページはゲームが中心となりました。
新作レビュー、ゲームクリエイターのインタビュー、海外ゲーム紹介、ゲーム攻略記事などが載っています。



記事で言えば、何ヶ月も前に発売されたものを巻頭で紹介したりしています。画像は86年4月号の「スタープログラマが明かす人気ソフトマル秘テクニック」と言う記事ですが、発売から大分時間が過ぎた夢幻の心臓2が巻頭で登場しています。当時大人気だったザナドゥハイドライドⅡも、何回も特集が組まれました。当時はソフトの寿命が長く、ゆっくりじっくりあそべたんですよね。少し見方を変えると、この頃はゲームの情報が載るのは基本的に発売された後でした。しばらくするとポプコム、というか他のパソコンゲーム雑誌も同様なのですが、紹介されるゲーム情報の内容が変化していきます。発売前の新作の情報に重点が移り、情報速報のようになっていきます。それについては、また別の機会に語っていきます。

特徴的だったのはRPG同時進行レポート。





ゲーム攻略を単なる手順だけに終わらせず、読みものとして面白かったです。





あとは白黒ページになりますが、三遊亭円丈さんのゲームコラム「円丈のドラゴンスレイヤー」でしょう。円丈さんのホンネをまじえた歯切れよい文章が気持ちよかった連載です。雑誌のゲーム紹介にある、なんとなーく建前の、言葉悪く言えばヨイショみたいな気持ち悪さ。そういう感覚に対して「でもさーこのゲームプレイしてみんな本当はこう思ってるでしょ!」と読者の心の中をズバッと言ってくれる爽快感がありました。「みんな言わないけど、これ手抜きですやん。スクロールおっせー」とか過激な発言もありましたね。
※2

円丈さんだけでなく、記事を書くライターのキャラクターも特徴が出てきました。おそらくポプコム側も意識してライターの考え、色を出すようにしていたのでしょう。ライターのキャラクターがはっきりするというのは、記事が単発で書かれたものでなくなり、連なりをもってくるということ。

「ふーん、この人はこういうように考えてるんだ」と、そのライターさんがトータルでみえるのでより身近な存在になりました。そしてこの頃の筆者は、文章を読んでは、好きなライターさんの影響受けまくりでした。




大好きだったのは前回もご紹介したJD加藤さん。ゲームレビューから書評、映画評まで担当される活躍ぶり。隣にいてはなしかけてこられてるような軽妙な文章が大好きでしたねー。

@広告



ゲーム中心になったポプコムですが、広告もゲームソフト会社が主にしめるようになりました。ちなみに85年あたりまではパソコンの広告が多かったのです。このあたり86年というのは各社が競って新製品を出していたパソコンブームが一段落ついて、御三家やMSXをつくっていたSONYPANASONICといったメーカーの優位がはっきりしてきた時代。もしかしてパソコンメーカーから広告がとれなくなったから、ゲームソフト中心の内容に移行した??なんていう鶏が先か卵が先か、みたいな推理も一応成り立つわけですが、実際のところどうだったのでしょうねえ。

@白黒ページ:硬派な記事!
縁の下の力持ち、後半の白黒ページはプログラミングなどに興味を持つ硬派なパソコンユーザーに向けての記事がたくさん掲載されていました。



アセンブラの教室やら、3Dグラフィックスの記事、投稿プログラムのコーナーも健在、BASICの入門マンガである「おれたちマイコン族」などプログラムの記事も充実していて、ゲームの情報だけに終わらない総合誌としての面目躍如といったところでしょうか。

その他には新ハードの紹介、「わくわくサウンド倶楽部」などのFM音源の連載などが載っています。スキャナの新製品記事、ワープロソフトの紹介などパソコンをプログラミング以外の用途で使うような記事が徐々に増えてきていて、パソコンの使い道が広がり、かつ実用的になってきていることがうかがえます。

@硬軟のバランスがよく、読み物としておもしろかった時代
全体として振り返ると、ゲームの情報と硬派なパソコン記事が両方掲載されていて、多方面の興味を満たす非常にバランスのとれた時代だったと思います。ゲーム情報が多くなってきましたが、まだゲーム専門誌ではなかった頃です。このあとパソコンはゲームする人はゲーム、ワープロで使う人はワープロにと、使い方が専門的になっていく傾向が出てくるようになってきます。この頃はまだ、ゲームからプログラミングまで、パソコンが何でもできる道具として人が夢みていた時代だったのでしょう。

また情報だけでなく、読み物としても非常に面白く、雑誌としての完成度が高かった時代です。自分はこの頃が一番好きですね。

次回は87年です。86年の変化からすれば、87年とか88年は大きな変化なかったかなー、と思ってたんですが、注意するとやはりいろいろ大きく変わってます。当たり前ながら同じ雑誌でも年月が進むと大きくかわるもんですねえ。それではまた次回!



※1正確に言うと、85年の最後のあたりからパソコンと関係のない書評などは載っています。念のため。

※2もちろん「円丈のドラゴンスレイヤー」については別枠でじっくりと語りたいとおもっております。