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ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(15/08/12)ポプコムを語る その7 渡辺茂さん監修

過去記事から転載(15/08/12)

 

ポプコムがパソコンホビー誌からゲーム雑誌になる境目は

、渡辺茂さんが離れられたときではないかか。

 

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@ポプコム人物列伝その3
 渡辺茂・・・初期中期ポプコムの監修者

ポプコムには86年まで「総監修」で渡辺茂さんのお名前がクレジットされていました。「日本マイコンクラブ会長/東京大学名誉教授」という肩書きに、「なんだかわからんがスゴイ人だ」と思ったものです。自分が初めてパソコン買ってもらったとき、なんだかゲームに使うのはうしろめたい。でもゲームの情報は欲しい。あ、じゃあこのポプコムって雑誌はエライ先生がアドバイスしてるんだから勉強もできるだろう、というのが最初に買い出したキッカケだったように覚えています。「監修・渡辺茂」というキャッチはポプコムのイメージアップに役立ったのではないでしょうか。



@連載記事
渡辺茂さんが監修の他に、ポプコムではコラムを連載されていました。



まず84年から85年あたりまでに連載された「マイコンABCカルタ」です。まだ世の中に知識としてなかったコンピュータの世界を紹介するといった内容です。画像は84年1月号のものですが、コラム中で「初心者にはわかりにくかったかもしれないが、ぜひこれらの言葉に早くなれて欲しいものである」という一文が書かれています。コンピュータの話をするにしても、受け手側に基礎的知識がないため話を通じることができない、という当時ならではの苦労がうかがえますね。




85年中期頃からコラムの内容が一新され、人工知能について書かれるようになります。当時は第五世代コンピュータとでAIが盛り上がっていた時代。AIによってバラ色な未来が近いうちにやってくる!という内容のものも多かったですが、渡辺さんは工学者らしく毎回淡々と、こういう仕組みでAIというのが動いて、どういったことがこれから必要か?ということを解説されていました。

@総監修
話を総監修に戻すと、ポプコムの総監修というクレジットは84年?に始まり86年12月号が最後となっています。しかしコラムの連載は87年7月号まで掲載されています。今回読み直してみたのですが、渡辺さん連載最後の回となった87年の7月号のコラムではお別れの言葉はなく、編集後記でも全く触れられていないのは不自然に思うところです。

「総監修」というのがどこまでのもので、どういった関わりをされていたのか気になるところですが、大人の事情があるのかもしれませんね。

もっとも84年当時はプログラムやコンピュータに関する雑誌だったものが、86年にはゲーム雑誌へと変貌していきます。そういった流れのなかで渡辺さんの役割が変化したとも考えられます。渡辺さんの名前が表紙から消えたとき、時代が節目を迎えたということでしょう。