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ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(15/06/19)俺とパソコンの年代記 PART1 82年~ 連れが「オレの家にマイコンがきたんだよねー」とか言ってきた

※過去記事から転載(15/06/19)

 

このシリーズもほったらかしだ・・・続き書きますよ!

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@82年 何それ夢みたいな話!?



「オレの家にマイコンがきたんだよねー。これでいろんなゲームが遊び放題になったんだよ」

友達のK紫くんが、夢みたいなことを言ってきたのは、自分が小学四年生、82年のときの話だ。

当時、コロコロコミックに連載されていた「ゲームセンターあらし」の影響もあって、小学生の間ではゲームセンターブームだった。さらにはゲームウォッチに代表されるLSIゲームなどが発売されて家庭でも遊べるようになり、日本全国の子供達がテレビゲームという新しい遊びに夢中になっていた頃である。

しかし、ゲームセンターでは1プレイに100円というお金がかかる。LSIゲームは電池が続く限り無限に遊べるが、親からたくさんの種類を買ってもらえるわけではないので、同じゲームを飽きるほど遊ぶことになる。「いろんな種類のゲームを、思う存分遊びたい!!」というのは、グリム童話のお菓子の家みたいな子供の夢だった。

その「いろんな種類のゲームをいくらでも遊べる」という夢みたいなことが、実際にあるという。そんなにマイコンてすごいのか!と、びっくりするしかなかった。当時の自分はマイコンというのはコンピュータの親戚?、というぐらいの知識しかなった。コンピュータで言えば「ゲームセンターあらし」で、さとるという秀才の少年が、コンピュータを使うシーンがあったので、何かを入力したら、いろんなことができる。すごいな。面白いな。くらいは思っていたが、逆に言えばそれぐらいのことしか知らなかったのだ。

K紫くんは、マイコンをみせてやるから、今度の土曜日に遊びに来い、と言う。K紫くんというのは、この頃毎日遊んでいた小学生のときの親友である。親友であり、ライバルでもあった。彼とはマンガなど、趣味がぴったりあった。好みが一緒というだけでなく「昨日のどらえもんて、のび太より、ジャイアンの行動が泣けるよねー」など、自分はいかにストーリーの本質を理解しているかを語り合ったり、「コロコロコミックとか子供っぽいよね、これからは週刊少年ジャンプだよ」とか、「マンガより小説だよ。江戸川乱歩はおもしろいよ」など、自分はいまこれに注目している!これおもしろいと感じることができるオレ進んでるだろ?みたいにセンスをぶつけあい、影響を与えあう仲だった。ちょっと痛い関係の相手同士だったのである。そのK紫くんの家にマイコンが来たという。「先をこされたなー」という負けた感じ。今思うと本当にどうでもいい小学生のプライドだけど、あの頃の自分にとっては大問題だった。なんだか苦い気持ちを噛みしめながら、土曜日までを過ごすしたことを覚えている。

@数字がなんかならんでるぞ



土曜日、K紫くんの家にいくと「今日はこっちの部屋だから」と、いつもの子供部屋ではなく、お父さんの書斎に通された。当時、マイコンと呼ばれていたコンピュータは、誰もが買うようなものではなかった。一部の電気工作に興味ある愛好家や、大学や仕事関係で、なんらかのつながりがある人達だけが触っていた時代である。K紫くんもマイコンを買ってもらったわけではなく、お父さんが電機メーカーに勤めていらっしゃったので、その関係で勉強も兼ねて手に入れたものだったらしい。

書斎に入れてもらうと、窓際には書き物をする机、反対側には本棚。そして部屋のまんなかのテーブルに、どーんと、本体とキーボード一体型のコンピュータ、PC8001が置いてあった。これがマイコンかー!キーボードを初めてみたときの興奮。あー、これ、「ゲームセンターあらし」のさとるが使っていたやつだ!これでマイコンにいろいろ命令させるのか!全然使い方わからないけど、なんだかわからないけど、すごい!!そう、自分でもよくわからないが、何かわからないけど未知なものをみた興奮があった。

ちなみにPC8001というは、後からいろいろ推理して、あのときの機種はPC8001だったんだろうな、と考えてるだけで、小学生のときの自分にはパソコンの種類などわかるはずもない。

「じゃあ動かすね」K紫くんがなにやらキーボードで入力しはじめた。なにぃ!お父さんが動かすんじゃなくてK紫くんが自分で動かすのか!お父さんが手順を書いてくれた紙をみながらではあるけれど、マイコンに入力できるとは!キーをたたく指も両手でなく一本で、たどたどしく文字を探しながらであったが、こいつスゲエ!!と尊敬したものである。

マイコンが置いてあるテーブルの横にあるソファに座って、ジーコジーコとカセットのロードを待つ。ソファの正面にはモニタ。カラーモニタではない。一色表示のグリーンモニタだ。出てきたのは「マジンガーZ」というタイトル。これがマイコンのゲームかー!パイルダーを操り、画面端のマジンガーZ、といってもGRAPH文字で書かれた四角形のかたまりなのだけど、その場所に合体させるだけのゲーム。自分から弾を撃てず、よけるだけなんだけど、ものすごく感動した。これがマイコンかー!この後、競馬の予想ゲーム、数当て、七並べと次々とプログラムをロードしてゲームを遊んでいった。どれもこれも瞬きをわすれるくらい、食い入るようにグリーンモニタを見ていた。ゲームの完成度、見栄えだけで言えば、ゲームセンターのゲームのほうがはるかに上だっただろう。それに比べて目の前のモニタに広がる世界はあら削りでざらついている。しかし、ざらついているだけにクラフトな感覚がした。遠くの存在でしかなかったテレビゲーム。例えるなら額縁にかざってあるポートレートから、自分たちが好きな絵の具で自由にかける絵のような存在に変わったような気がしたのだ。

今思うと、コンピュータというSFの中
だけと思っていた世界が、自分たちのいる現実とがつながるような感動だったのだと思う。

七並べを動かしているとき、「ピー!」とう音が鳴ってゲームが止まってしまった。ゲームセンターのゲームが止まるとかはありえないので、なんだか、その事さえ興奮した。

「あー止まっちゃったか。お父さんが、これどこか打ち間違えてるって言ってたな」と言うと、K紫くんは本棚から、なにやらごそごそと書類をもってきた。

「これ、このゲームのリスト。これを打ち込むことでゲームが動くんだぜ」

なにやら数字の横に英語がならんでる!おそらくBASICのプログラムリストだったと思うが、小学生の自分には何が何やらわからず、やっぱりコンピュータって頭がいい人が使うもんなんだ!英語とかわからん!そういえば「ゲームセンターあらし」のさとるもIQすごく高いヤツだった。自分が使えるもんじゃないのか・・・と、びびったところで、K紫くんは別のリストをみせてきた。

「このゲーム、すっげえおもしろいみたいなんだけど、入力するのが難しくてさー。お父さんも苦労してるって言ってた」

紙の表紙は、豆か、なすびのようなキャラクターがハンマーを持って、お互いになぐりあうようなイラストが描いてあった。ページをめくると「0D:E8:3F:46・・・」という数字がびっしり並んでいた。16進数のダンプリストである。もちろん当時の自分には????で全くわからない。さっきのBASICもわからなかったが、あれは文字で英語だった。しかしこれは、全く理解ができない。

「これ何?何が書いてあるの・・」

おびえながらK紫くんにきく。K紫くんはやや自慢げに答えてきた。

マイコン使う人は、ここに何が書いてあるのか一瞬で読めるんだって!お父さんが言ってたよ!」

その頃はハンドアセンブルやってた人も多く、そういう技術者などいないとは言わないが、なかなかそういう超人的な人はいなかったというのが現実だろう。冷静に考えて、あのとき自分はK紫くんに一発ホラをかまされたのである。

@まだまだ遠い存在だった
夕ご飯の時間になると、K紫くんの家を出た。この土曜日の午後は本当に今思い返しても一瞬だった。

ちなみにK紫くんは、遊んでる間、自分にはマイコンを触らせてくれなかった。いや、皮肉な意味ではなく、別にそれはいい。それでも充分すぎるほど楽しかったし、自分から触らしてくれ、というつもりもなかった。だって、なんか自分がいじって壊れたら、どうしようもないと思っていたからである。家のお金で払えないくらい高いんじゃないか、とびびっていたからだ。コンピュータというのを初めて見たので、触ることにさえ怯えていた。ある意味怖かったのかもしれない。

実体験としてのマイコンは、なんだか凄くおもしろうそうな世界だけど、これは高価だろうし、難しすぎて自分が使えるもんではないな、というのが正直な感想だった。だから、うらやましい!とか、マイコンが欲しい!という気持ちは沸かなかった。コンピュータという面白い世界がくるんだ、とは感じたけれど、それはたとえば、どこか遠くの隣の国でおこってるような話で、自分の生活の中に入ってくるという感覚は全く持てなかった。K紫くんがバリバリつかいこなしていたら、また違っていたかもしれない。だけど彼の家にあったコンピュータは、お父さんが使うものだった。そして後から聞いた話によると、やっぱり子供には簡単にさわらせてもらえなかったらしい。当時コンピュータは小学生にはまだはやく、使う人達が大人ばかりだったことも遠く感じた理由であると思う。


世の中では、この土曜日のような体験を通して、コンピュータの世界に入っていった人も多いだろう。しかし、自分がコンピュータをさわりだすのは、この82年の出来事から4年後。まだまだ先の話である。