あーでもなければ、こーでもない!(ここがメインになるのか??)

読書、映画、プログラミング、野球などなど。おもいがままに書いてくぞ!

※ブログ引っ越し中・・・過去記事 を転載(15/11/29)ヒント券を語る その5 VSシンキングラビット

過去記事を再掲(15/11/29)

 

クリスタルソフトのユーザーサポート電話に出た人とは、その後自分が就職した某社で、一緒にお仕事させていただくことになりました。ホントにお世話になりました

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@ユーザーサポート電話
ソフトハウスへ問い合わせる方法といえば、郵送以外ではもちろん電話という手段もありました。

ソフトハウスが専用の電話番号を用意して、ユーザーがその番号にかければソフトに関するサポートが受けられるというものです。現在でもありますが、今はメールなどの問い合わせが主流でしょう。

このユーザーサポート電話ですが、だいたいがソフトハウスの営業時間に合わせて、月曜から金曜の昼間しか受けてつけていません。昼間、学校へいったり会社で仕事してる人には、なかなか利用し辛かったものでした。

当時の雑誌記事をみると、ユーザーサポートの担当者の声として

「お母さんに電話を頼むときには、質問をわかりやすくお母さんに伝えておいてください。お母さんはパソコン詳しくないからね!」

とかいう、ユーザーへのお願いが載っていました。自分では電話できないので、お母さんに頼む猛者もいたようです。それにしても子供のために電話してくれるなんて、やっぱ、かーちゃんてありがてえなあ。

@キレイなお姉さん妄想
ユーザーサポートに電話すると、電話に出るのはたいていお姉さんです・

「はい。●●(会社名)、ユーザーポートでございます!」

と、きれいな声が聞こえます。なぜ声だけというのは、かくも想像力を刺激するのでしょうか。電話のむこうにいるのは声のキレイな素敵な大人の女性・・・という妄想で頭がいっぱいになります。自分も何度か電話しましたが、必要以上に緊張したものです。

近所のおばさんや、同級性の女の子としゃべるのとは全く違う緊張感。大人の女性との電話というマンツーマンな世界。ここは失敗できない。電話で用件をスマートに言い切って、「あら、この子、意外と大人で賢いのね」と思われたい!いらんことばかり考えます。結果

「●●と申し上げますが、PC88の一件でお電話さしあげたのですが、ソフトが起動いたしませんのですが・・・」

と、きちんとしゃべろうとしたものの、慣れてないのでメチャクチャな言葉になってしまったものでした。それだけ緊張してなんとか格好良くしゃべろうとしても、お姉さんは

「はい、それでは開発のものに電話をかわります」

と言って、無慈悲に他に電話を回すだけなんですけどね。

@アイドル化



そんなユーザーサポートのお姉さんをアイドル化するところも出てきました。工画堂のサポートの方が、広告に登場されてましたね。さわやかなイメージの美人さんでした。

こうすることで、ユーザーに親しみをもってもらおう、という狙いだったのでしょう、

思えば、この時代のパソコン雑誌はソフトハウスの紹介記事が人気で、開発のプログラマだけでなく、社長さんから営業さん、果てはユーザーサポートのお姉さんまで、あらゆる人が雑誌に登場した時代でした。

それもこれもソフトを買ってもらうため、お仕事なのだ!というだけでなく、ただ楽しんでる場合もかなりあったように見えますけども・・・

@テレフォンサービス

ソフトハウスではユーザーサポート電話の他に、テレフォンサービスというのもありました。テレフォンサービスとは、電話するとあらかじめ録音された音声が流れるいうサービスで、新作ソフトやイベントの情報などを聴くことができたのです。しゃべっているのは、たいていソフトハウスのお姉さん。雰囲気はこんな感じです。

「●●(会社名)テレフォンサービスです。広告で11月下旬となっておりました、●●(ゲーム名)の発売日は11月22日に決定しました。このあと12月にPC98版とMSX2版を予定しております。なお23日には日本橋のN電気で発売記念イベントを・・・・」

というような音声が流れます。このサービスの仕組みとしては、ソフトハウスの方が録音専用の電話番号に掛けて音声を吹き込み、ユーザーはテレフォンサービスの番号にかけることで録音された音声をきけるというようになってました。つまりはソフトハウスの人による手作りです。しゃべっているのはソフトハウスにお勤めの、プロのアナウンサーでもなんでもない人なので、早口になって、とても緊張されてるのが、ありありとわかる感じなのが多かったですね。

雑誌の情報との違いは速報性でしょうか。雑誌の広告、記事などは月刊の場合、最大ひと月の間が空きますし、そもそも掲載された時点でも情報がかなり前のものです。しかしテレフォンサービスの場合は、つい昨日に吹き込んだ新作ソフトの詳しい発売日などがきけるというメリットがあります。

そうは言ってもなかなか情報って更新されるものでもないんですけどね。しかし、情報に飢えてていた時代、少しでも何か新しい情報が欲しいゲームファンは、テレフォンサービスにかじりついたのです。

@VSクリスタルソフト
時は自分が中学生の頃、クリスタルソフトの「MRプロ野球」の発売日が知りたくて、音声再生のユーザーテレフォンに電話しました。

これがしかし、なかなかつながらない。「どないなっとんじゃぁああああ」と思わず声に出たところで、カチャッと電話がつながり

「はい!クリスタルソフトユーザーサポートです!」

と声が聞こえました。ええ!なんと!オレ、ユーザーテレフォンにかけたつもりが、サポートに電話してる!しかもお姉さんの声じゃなくて、男の人の声だ!

二重の想定外の出来事に動揺しながら

「あのぉ、MRプロ野球の発売日はいつになるのでしょうか??」

と、なんとかしゃべることができました。発売日を教えてもらったあと、サポートの人から

「一応電話には出ましたが、時間外なので今度からはユーザーサポートの時間内でかけてくださいね」

と軽くお願いされました。ああなるほど、テレフォンサービスとユーザーサポート電話を間違えて、しかも時間外だったから繋がらなかったのか・・・それにしても「どないなっとんじゃぁああああ」と怒鳴ったのは聞こえてなかったのでしょうか。もし聞こえてたらすいません・・・

そしてこのときサポートの電話に出てくださった人には、この後いろいろお世話になることになる。しかし、それはまた別の話・・・・ではまた!

追記:いろんなソフトハウスがユーザーテレフォンをやってましたが、当時の広告を調べてみると、クリスタルソフトはやってなかったっぽい。あの日の自分は一体何を勘違いして電話していたのだろうか??

ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(15/10/31)きよぼんの映画にもいろいろある 観た映画、感じるままに書き飛ばし! PART2

過去記事を転載(15/10/31)

 

リベリオンワルシャワ大攻防戦」とか観たの、すっかり忘れてた

 

 

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きよぼんである。最近観た映画の感想を、まとめもせずに書き飛ばす。NETFLIXと契約、Amazonプライムがはじまってますます映画三昧、そんなきよぼんがみた映画の雑記など。

時をかける少女(アニメ版)
青春SFの定番的作品として、何度も実写で映像化されたきた作品のアニメ版。10代のもつ切なさを描いた作品を、実写では時のアイドルや旬の女優が演じることで表現してきたが、アニメ版ではアニメらしいケレン味で表すことができているのが素晴らしい。

見比べることで実写の映画、アニメの映画、それぞれに何が求められるのか?何が長所なのか、がよくわかる。

話が横道にそれたけど、アニメ版は大好きな作品。またあらためてどこかで書きたい。


●ゴーンガール
ネタバレ?になるかな。

最後に失踪した妻と、探していた旦那が一緒に取材をうけるところで寒気がした。

どんなことがあろうと、夫婦って一緒に生きていくしかないんだなと。
それは「くされ縁」なんていうロマンチックなものじゃなく、サバイバルというのが近い。社会に参加して生活をして、排除されないように夫婦という形を維持する。恋だの愛だの言ってる場合じゃない。生きるための夫婦なんだから。こういういの観ると自分の結婚がまた遠くなる。オレはまだまだ結婚ってロマンティックなものであるっていう幻想もってるしね!いや、でも逆に「生きるために」と割り切って探せば意外とすぐ相手はみつかるのかもね。でもできれば長澤まさみみたいな人がいいなあ。

ニューヨーク1997
ゲームの「メタルギア」、小説の「魔界都市新宿」など、大好きな作品の元ネタ作品。ニューヨークが監獄として隔離されたという設定、中に住む一癖ある住人達、大統領救出のために単身乗り込む主人公のスネーク・プリスキンなどなど、非常に魅力的な作品である。

しかし、あえていうならスネーク・プリスキンの行動がいまいちかっこよくない。簡単につかまっちゃったり裏をかかれたりする。もっとスーパーマンのほうが自分は好きかな。

プリスキンがいまいちかっこよくないのに、凄腕のように思えるのは周りの人間がさわぐからである。「あんた、あのスネークなのか!?死んだってきいたぜ。こんなところで会えるなんてな」的な会話が行く先々でかわされるので、これだけでスネークってやつがどれだけすごいか伝わってくる。セリフだけでキャラをたたせるテクニックがうまい。昔どんなことがあったんだろう?と想像させることもできるしね。実はこの映画ってスネーク・プリスキンのキャラを、観てる人が勝手に想像してストーリーをふくらませてしまうところに魅力があるんじゃないか、と思った。

リベリオンワルシャワ大攻防戦
銃をガンガンうちまくる・・・そっちじゃなくて、こちらはポーランドワルシャワ蜂起を描いた映画。

史実を元にした作品だけあって、戦闘で人が死ぬときも何か遺言を残したり、ドラマティックなことはありません。銃で頭を撃たれたり、いきなり爆弾が爆発したり、一瞬で生きていた人が死にます。

でも逆に、人があっさりとなくなっていく光景がドラマティックかなとも思える。

こういう映画に不適切で誤解を招く表現かもしれないけど、これってワルシャワ蜂起に参加した若者達の青春映画なんですよね。

若者が希望に燃えて青春を賭けるが、もっと大きなものにあっさりとその思いを蹴散らされる。人が戦争映画をみる理由のひとつは、そこに若い人の残酷な青春があるからだろう。

・・・今回はまじめすぎたかな(´・ω・`)次からはもっとはっちゃけたいです!

ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(15/10/03) ヒント券を語る その12 VS ボンドソフト

過去記事から転載(15/10/03)

 

いろいろ交換してもらったという話

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@郵送による交換
壊れていた、汚れていた、ちゃんと動かない。買った商品に何か問題があるとき、交換してもらう、ということがあります。

パソコンソフトの場合は、ソフトの交換ということになります。現在ではダウンロードによる最新バージョンの提供、それどころかつながってるだけでハードディスクの中を自動でアップデートしてくれたりします。いやー便利な時代になったもんですね。80年代のパソコンゲームってフロッピーディスクに入ってたので、交換ということになれば郵送ですから、全然ちがいます。

この時代にフロッピーを送ってまで交換してもらった人ってどれくらいいるでしょうか。かなり少ないのではないでしょうか。そもそもバグが少なかったことがあります。バグが目立つようになってきたのは、ゲームが大規模化する90年代に入ってからのこと。80年代はまだゲームはシンプルな時代でプログラム全体の見通しがよかった時代でした。もちろん「GOLDの数値が書きかわった!」「町のせまいところへキャラを移動させたら出れなくなった!」など、全くなかったわけではありません。それなりにあったのでしょうが、「よっぽどひどいものでなければ」また「滅多に発生しないものであれば」、メーカー側もナイナイのみてみぬふり、をしていたように思います。情報源は雑誌かソフトハウスのファンクラブ通信くらいしかなかった時代。現在のようにソフトの情報をネットでユーザー全員が共有するっていうわけでもなかったですからね。

さて「よっぽどひといものでなければ」ユーザーもソフトハウスも交換とか考えなかった80年代、筆者は交換してもらった経験があります。しかも4回も。そう4回もです。一体何があったのか?振り返っていきます。

@交換いろいろ
まずはT&Eソフトの「サイオブレード」。これは自分のPC88FRでは全く起動しませんでした。こちらから郵送して交換したディスクを送ってもらいましたが、交換後も起動しませんでした。古いディスクドライブだと起動しにくい、という噂がありましたが実際のところどうだったのでしょうか。当時遊びたかったですね。※1

次は「野球道」。この製品はTAKERUというソフト自動販売機の専売商品だったのですが、近くになかったので、TAKERUの商品を通信販売している○○という業者から通販で購入しました。ところが、届いたディスクにはラベルが貼ってありませんでした。説明書にはプログラムディスクだの、Bディスクだのとありましたが、ラベルがなければどれがどのディスクかわかりません。仕方ないのでとりあえずユーザーディスクをつくろうとしていたら、書き込んじゃいけないディスクに書き込んでしまったのです。そして起動しなくなりました。TAKERUのサポートに電話したら

「ええ!?ラベル貼ってなかったんですか?○○さんから購入されたんですね。ラベル貼ってもらうようお願いしてるんですがね。それはおかしいですねえ。申し訳ありません」

といってすぐに交換してくれました。もちろん、届いたディスクにはラベルが貼ってあって安心して遊ぶことができました。そして自分が買った○○という業者さんですが、それからしばらくしてTAKERUの取り扱いやめてしまったんですよね。まさか自分の一件で、手抜きしてるのがばれて、TAKERUから、こらー!って怒られて扱えなくなったとか・・考えすぎ?まあ、オレのせいじゃないよ・・・

次はTOWNSの「サイバーシティ」。TOWNS発売と同時に出た、日本テレネットシューティングゲームです。このゲームは面クリアごとに自動セーブなのですが、面クリアするとドライブのランプが点灯したまま止まってしまいます。これはどうにもならん、ということで交換してもらうことになりました。

数日後、ディスクがかえってきました。手紙もなんにも入ってなかったので、サポートに電話したら

「あーそれはですね、検証の結果3.5フロッピーのプロテクトノッチがONになってたんですよ。ONになってたら書き込めないので気をつけてね。ウフフ」

とサポートのお姉さんに笑われました。当時3.5とか使った事なかったのでライトプロテクトがONになってるとかわからなかった馬鹿なオレ。でもさー、ディスクは箱から出して、そのまんまの状態でセットしたんだぜ。最初からセーブできない状態で出荷してるなんてそっちのミスじゃないんですかね?ゴルァ!!・・・と言い返す度胸もなく、ユーザーサポートのきれいなお姉さん(想像)に鼻で笑われたということで、ものすごく傷ついたことを覚えています。テレネットきらい(笑)


↑ゲームの内容は・・いわゆるテレネットのゲームです。

@VSボンドソフト

最後になってしまいましたが、時系列的には一番最初、ボンドソフトの「タイムトンネル」です。もうほんとナイコン時代から遊びたくて遊びたくてしょうがなかったソフトで、手に入ったときはほんとに感動しました。

さて起動してみると、ディスクをガッコンガッコン読み込みながら画面の下に「パート1をロードしています・・・」とメッセージが表示されます。ふむふむパート1が始まるんだな!と思って待ってると、さらにディスクをガッッコンガッコン「パート2をロードしています・・・」の文字が。あ!パート1行き過ぎちゃった!と思ってるとパート3、パート4・・と続いて最終的にパート9までいってしまいました。なんだこりゃああと頭はパニックです。パート1から始まるはずなのにパート9からスタートしてる。しかもタイムトンネルなのに、なんか宇宙ステーションからスタートしてるし・・・変なところに画面とんでるやん。ゲームの最後の方から始まってるやん!これバグだあああああ。ということで交換してもらいました。

せっかく手に入れた「タイムトンネル」が遊べない!ということで半泣きになりながらボンドソフトに電話をかけて、交換してもらいました。

2回も。ええ、2回もです。

1回目の交換では同じ症状が出たんですよね。だからもう一度電話して、もう一回かえてもらったのです。

しかし、プレイされたことはご存じだと思いますが、これバグじゃないんですよね。
「タイムトンネル」ってストーリー上、宇宙ステーションからスタートするんです。2回目の交換でも同じ症状だったため、もうええわ、とあきらめていた頃、山下章の項略本で「タイムトンネル」が掲載されているのを見ました。ここがスタート地点だ!!と載ってた画面写真は、自分がバグってると思ってた画面!ひっくり返りました。同時に青ざめました。プレイしてみたら普通に遊べるし、これバグちゃうやん、何の問題もないやん!!

「パート1をロードしています・・・」というメッセージもおそらくは、プログラムの分割ロードの「パート1」であって、ストーリー上のパート1じゃなかった・・・それなのに先入観でゲームのスタート地点がバグってると思い込んで2回も交換してもらったんですね。いやーほんとボンドソフトさん、すいません!!!!!!!!!ボンドソフトさんとの電話のやりとりは、ほとんど覚えてないのですが、なんかぶっきらぼうな感じの方だった印象があります。あのとき、ていねいに話してくれてればねえ・・・いやわたしが悪いです。反省。

さらにいうとボンドソフトさんに電話するときに間違い電話した覚えがあります。緊張してたため、いきなり用件をしゃべりだしたので

「あのータイムトンネルで宇宙ステーションからスタートしてしまうんですけどー」

とかいう、事情がわからない人には、頭のおかしな人としか思えない内容に電話の向こうの人はパニックになられてましたね・・・


いやーほんとオレ、ロクでもねーな。マジ反省。


いかがでしたでしょうか。「ほとんどおまえの操作ミスか勘違いじゃねえか!!!」
というツッコミは置いといて、冒頭に戻るとやっぱり80年代はバグがすくなかったということですかねえ。


↑この「タダイマ パートXヲ ロード シテイマス」のメッセージを勘違いした


↑問題のスタート画面


※1 twitterでT&Eソフトの中の人に訪ねてみたところ、「サイオブレードはそんなにきついプロテクトかかってなかったはず。だってメロディモジュールが事実上のコピープロテクトなので」というメッセージをいただきました。うーん、じゃあ何だったんだろう。

ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(15/09/04)ポプコムを語る その8 86年頃の誌面から

過去記事から転載(15/09/04)

 

86年頃のパソコン雑誌が一番面白かったな

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@86年頃の誌面から
86年は自分が初めてのパソコンであるPC88FRを買ってもらった年になります。同時期にポプコムを買い始めて、もう夢中になって読んでました。何もかもが珍しかった中学生の頃、ほんとに本の中に宇宙がありましたね・・・いや笑わないで!ほんと、マジメな話ですよ!。ゲーム、雑誌、本、音楽、ポプコムで紹介されるものが、世界への入り口だった気がします。自分は影響うけまくりでしたね。

@表紙とキャッチコピー



以前までのCGを使った表紙から、芸能人とCGを組み合わせたものに変化しました。ビートたけしとんねるず、ジャッキーチェン、芳本美代子・・などなどが登場し、グっとキャッチーなものになりましたね。CGと芸能人の組みあわせ、というのはポプコムが大きく変化したこの年、新しいモノと、旧いこれまでのモノが重なりあって変わり目にある状態を表していたのでは?と今となって後付けの理由ではそう思えたりします。ただ、表紙の作成はCG時代から続いて、岡本博さんが変わらず担当されていました。

キャッチコピーは変化していません。しかし、このキャッチコピーは86年限りとなります。

@紙面



パソコンゲームの人気上昇にあわせて、ポプコムパソコンゲームの情報誌へと変化します。初期がプログラミングやコンピュータの知識を紹介するコンピュータ総合誌とするなら、パソコンを中心とする総合エンタメ誌の顔をみせはじめたというところでしょうか。パソコンとは直接関係ない書評や映画評なども載るようになり、幅が広がっていきました。※1

大まかにいうと前半のカラーページでは主にゲームの特集。しかし後半の白黒ページではパソコン関係の硬派な記事が健在という二つの顔をもつ構成となっています。え、筆者ですか?ええもちろん白黒ページもよんでましたよ・・・・(´・ω・`)

@カラーページ:ゲーム紹介
雑誌の顔、前半のカラーページはゲームが中心となりました。
新作レビュー、ゲームクリエイターのインタビュー、海外ゲーム紹介、ゲーム攻略記事などが載っています。



記事で言えば、何ヶ月も前に発売されたものを巻頭で紹介したりしています。画像は86年4月号の「スタープログラマが明かす人気ソフトマル秘テクニック」と言う記事ですが、発売から大分時間が過ぎた夢幻の心臓2が巻頭で登場しています。当時大人気だったザナドゥハイドライドⅡも、何回も特集が組まれました。当時はソフトの寿命が長く、ゆっくりじっくりあそべたんですよね。少し見方を変えると、この頃はゲームの情報が載るのは基本的に発売された後でした。しばらくするとポプコム、というか他のパソコンゲーム雑誌も同様なのですが、紹介されるゲーム情報の内容が変化していきます。発売前の新作の情報に重点が移り、情報速報のようになっていきます。それについては、また別の機会に語っていきます。

特徴的だったのはRPG同時進行レポート。





ゲーム攻略を単なる手順だけに終わらせず、読みものとして面白かったです。





あとは白黒ページになりますが、三遊亭円丈さんのゲームコラム「円丈のドラゴンスレイヤー」でしょう。円丈さんのホンネをまじえた歯切れよい文章が気持ちよかった連載です。雑誌のゲーム紹介にある、なんとなーく建前の、言葉悪く言えばヨイショみたいな気持ち悪さ。そういう感覚に対して「でもさーこのゲームプレイしてみんな本当はこう思ってるでしょ!」と読者の心の中をズバッと言ってくれる爽快感がありました。「みんな言わないけど、これ手抜きですやん。スクロールおっせー」とか過激な発言もありましたね。
※2

円丈さんだけでなく、記事を書くライターのキャラクターも特徴が出てきました。おそらくポプコム側も意識してライターの考え、色を出すようにしていたのでしょう。ライターのキャラクターがはっきりするというのは、記事が単発で書かれたものでなくなり、連なりをもってくるということ。

「ふーん、この人はこういうように考えてるんだ」と、そのライターさんがトータルでみえるのでより身近な存在になりました。そしてこの頃の筆者は、文章を読んでは、好きなライターさんの影響受けまくりでした。




大好きだったのは前回もご紹介したJD加藤さん。ゲームレビューから書評、映画評まで担当される活躍ぶり。隣にいてはなしかけてこられてるような軽妙な文章が大好きでしたねー。

@広告



ゲーム中心になったポプコムですが、広告もゲームソフト会社が主にしめるようになりました。ちなみに85年あたりまではパソコンの広告が多かったのです。このあたり86年というのは各社が競って新製品を出していたパソコンブームが一段落ついて、御三家やMSXをつくっていたSONYPANASONICといったメーカーの優位がはっきりしてきた時代。もしかしてパソコンメーカーから広告がとれなくなったから、ゲームソフト中心の内容に移行した??なんていう鶏が先か卵が先か、みたいな推理も一応成り立つわけですが、実際のところどうだったのでしょうねえ。

@白黒ページ:硬派な記事!
縁の下の力持ち、後半の白黒ページはプログラミングなどに興味を持つ硬派なパソコンユーザーに向けての記事がたくさん掲載されていました。



アセンブラの教室やら、3Dグラフィックスの記事、投稿プログラムのコーナーも健在、BASICの入門マンガである「おれたちマイコン族」などプログラムの記事も充実していて、ゲームの情報だけに終わらない総合誌としての面目躍如といったところでしょうか。

その他には新ハードの紹介、「わくわくサウンド倶楽部」などのFM音源の連載などが載っています。スキャナの新製品記事、ワープロソフトの紹介などパソコンをプログラミング以外の用途で使うような記事が徐々に増えてきていて、パソコンの使い道が広がり、かつ実用的になってきていることがうかがえます。

@硬軟のバランスがよく、読み物としておもしろかった時代
全体として振り返ると、ゲームの情報と硬派なパソコン記事が両方掲載されていて、多方面の興味を満たす非常にバランスのとれた時代だったと思います。ゲーム情報が多くなってきましたが、まだゲーム専門誌ではなかった頃です。このあとパソコンはゲームする人はゲーム、ワープロで使う人はワープロにと、使い方が専門的になっていく傾向が出てくるようになってきます。この頃はまだ、ゲームからプログラミングまで、パソコンが何でもできる道具として人が夢みていた時代だったのでしょう。

また情報だけでなく、読み物としても非常に面白く、雑誌としての完成度が高かった時代です。自分はこの頃が一番好きですね。

次回は87年です。86年の変化からすれば、87年とか88年は大きな変化なかったかなー、と思ってたんですが、注意するとやはりいろいろ大きく変わってます。当たり前ながら同じ雑誌でも年月が進むと大きくかわるもんですねえ。それではまた次回!



※1正確に言うと、85年の最後のあたりからパソコンと関係のない書評などは載っています。念のため。

※2もちろん「円丈のドラゴンスレイヤー」については別枠でじっくりと語りたいとおもっております。

ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(15/08/12)ポプコムを語る その7 渡辺茂さん監修

過去記事から転載(15/08/12)

 

ポプコムがパソコンホビー誌からゲーム雑誌になる境目は

、渡辺茂さんが離れられたときではないかか。

 

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@ポプコム人物列伝その3
 渡辺茂・・・初期中期ポプコムの監修者

ポプコムには86年まで「総監修」で渡辺茂さんのお名前がクレジットされていました。「日本マイコンクラブ会長/東京大学名誉教授」という肩書きに、「なんだかわからんがスゴイ人だ」と思ったものです。自分が初めてパソコン買ってもらったとき、なんだかゲームに使うのはうしろめたい。でもゲームの情報は欲しい。あ、じゃあこのポプコムって雑誌はエライ先生がアドバイスしてるんだから勉強もできるだろう、というのが最初に買い出したキッカケだったように覚えています。「監修・渡辺茂」というキャッチはポプコムのイメージアップに役立ったのではないでしょうか。



@連載記事
渡辺茂さんが監修の他に、ポプコムではコラムを連載されていました。



まず84年から85年あたりまでに連載された「マイコンABCカルタ」です。まだ世の中に知識としてなかったコンピュータの世界を紹介するといった内容です。画像は84年1月号のものですが、コラム中で「初心者にはわかりにくかったかもしれないが、ぜひこれらの言葉に早くなれて欲しいものである」という一文が書かれています。コンピュータの話をするにしても、受け手側に基礎的知識がないため話を通じることができない、という当時ならではの苦労がうかがえますね。




85年中期頃からコラムの内容が一新され、人工知能について書かれるようになります。当時は第五世代コンピュータとでAIが盛り上がっていた時代。AIによってバラ色な未来が近いうちにやってくる!という内容のものも多かったですが、渡辺さんは工学者らしく毎回淡々と、こういう仕組みでAIというのが動いて、どういったことがこれから必要か?ということを解説されていました。

@総監修
話を総監修に戻すと、ポプコムの総監修というクレジットは84年?に始まり86年12月号が最後となっています。しかしコラムの連載は87年7月号まで掲載されています。今回読み直してみたのですが、渡辺さん連載最後の回となった87年の7月号のコラムではお別れの言葉はなく、編集後記でも全く触れられていないのは不自然に思うところです。

「総監修」というのがどこまでのもので、どういった関わりをされていたのか気になるところですが、大人の事情があるのかもしれませんね。

もっとも84年当時はプログラムやコンピュータに関する雑誌だったものが、86年にはゲーム雑誌へと変貌していきます。そういった流れのなかで渡辺さんの役割が変化したとも考えられます。渡辺さんの名前が表紙から消えたとき、時代が節目を迎えたということでしょう。

ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(15/07/14)ポプコムを語る その6 RPG同時進行レポート

過去記事から転載(15/07/14)

 

同時進行レポートって、今でいうとゲーム実況なんだろうな

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@攻略記事ブーム

80年代中盤あたりから、ゲームではAVG(アドベンチャーゲーム※1)、RPGがブームを迎えます。謎解き型のゲームが中心になるに連れて、パソコン雑誌にも攻略法が記事として載るようになってきました。

ところが攻略するための情報「だけ」では面白くないんですよね。マップ一覧や武器のリストだけ載っているだけでは、プレイしている人にとっては役立つ情報でも、プレイしていない人にとって、興味がわきにくいものです。雑誌の方針として、攻略情報だけを載せるという雑誌もあったようにみえますが、自分はあまりそういうのは買わなかったです。

攻略法の掲載は、攻略するための情報「だけ」でなく、記事として面白く構成されるようになっていきます。この時代を代表するライターといえば、「マイコンBASICMagazine」で連載されていた、山下章さんでしょう。単純な攻略記事に終わらず、ゲームをプレイしているときの楽しさや、プレイしている感覚が伝わってくるよう、うまく工夫されていました。山下章さんの連載は単行本になるのですが、攻略本というよりはゲーム紹介のカタログ本のような感覚でみんな買っていたんじゃないかなあ、と思います。

@RPG同時進行レポート



86年からポプコムでは「RPG同時進行レポート」という企画がスタートします。突っ込まれる前に言っておくと、これって「コンプティーク」でも似たようなことやっていたので、ポプコム独自とは言い切れないんですけどね・・・

RPG同時進行レポートとは何かというと、そのまんまですが、ザナドゥハイドライドなど、それぞれのRPGごとにプレイしたレポート風の連載記事のことです。「同時」とはそのソフトが発売されて買ってきたユーザーと同じ箇所をプレイしているということを指しています。そのゲームが解くまで3ケ月かかるようなサイズなら、ひと月ごとに、ユーザーがプレイしていそうなところまでレポートが進む、攻略法の記事がのるという形になります。(わかりにくいかな?)

記事の特徴としては、しっかりとした文章を読ませる記事だったということでしょう。つまり、ゲームの紹介、攻略の記事というのは画面写真を並べたりして、その横にちょこっと文章をつけるという構成で、記号的な記事になりやすい。

そこがRPG同時進行レポートではこんな感じになります。

適当なところを書き出そうと思ったのですが、なかなかいいところがなかったので、「こんな感じ」ということで自分で書いてみますけども・・・

「あの北の洞窟にいってみようと思ったんだけど、スケルトンが強すぎてたどり着けない。じゃあ強力な武器を買ってみようとお店にいってみたら、なんとロングソードは5000G!おじさんぼったくりじゃないの?このへんのスライム倒したって20Gしか入ってこないのにさー。仕方なくチマチマとスライムを倒してたんだけど、そのうち南の橋の向こうに出るコボルドが150Gくらい持ってるのがわかってきた。しかもそんなに強くない。コボルド狩りじゃー!と乗り込んだんだけど、このコボルドがクセモノ。5回に1度の割合で麻痺の攻撃をしてくるんだけど、麻痺すると即ゲームオーバー。しかもこの橋の近く歩いてたらなんかHPが減ってる!なんだこりゃ、と思ってたらこのあたり毒の沼で歩く度にダメージを受ける。こりゃたまらん、ということで町まで戻る。やっぱり苦しいけど急がば回れ、ということでスライム倒しを繰り返すことにした」

繰り返しますが、ごめんなさい、当時の記事風にこれ自分が書いてみたものです。すいませんです・・・

でも、こういう文章で書くと、ゲームをプレイしているときの臨場感が伝わってくるでしょう?レベルアップでむちゃくちゃ苦労してる様子や、GOLDが貯まらずに毒消しを買うのもままならない感じなど、プレイしているときの様子が感じられてワクワクするものがあるんです。

自分は「覇邪の封印」「タイムエンパイア」なんていうゲームの連載記事は、まるで冒険物の連載小説を読むように楽しみにしていましたね。そういうおもしろさに憧れて、発売してから大分たってからでもソフトを買ったりしていました。

記号的な攻略法の記事では表現できないゲームの面白さを丁寧に伝えていて、すぐれた紹介記事でした。文章でプレイする様子を書くという手法が非常にうまくハマった連載と言えるでしょう。

面白かった要因としてはRPGというジャンルと相性がよかったことです。レベルアップを目指してキャラを育てること、謎を求めてフィールドを歩き回るという行為が、画一的なプレイになりやすいAVGなどと違って、記事を書く人と、ユーザーや読者との間で体験を深く共有できたのです。この記事のスタイルにはあっていました。。まあ後にRPGというジャンルも変化するため、このスタイルでは難しい面も出てくるのですが・・・

もうひとついうと、ユーザー目線だったということも上げられます。山下章さんの記事は「ゲームが上手い人が、君たちに教えてあげる」という先生的な立場であったのに対し、RPG同時進行レポートは記事を書いているライターも、ユーザーと同じようにレベルアップで苦労して、ワープするマップで迷うんだよ、というユーザーと同じ高さにいる距離感が気持ちよかった。だから読んでいて「ああ、そこちがう!」と突っ込みたくなるような気持ちをもてることが魅力となっていました。

@ライターの存在



RPG同時進行レポートでは、文章が主役であるため、ライターの色が濃く反映されました。
ハイテンションな人、レベルアップしないで突っ込んでいく人、RPGは初プレイで息子のほうが詳しいと言い出す人など、ライターさんによって文章のタッチやゲームのプレイスタイルが変わるのが面白かったですね。自然とライターに注目が集まるようになり、JD加藤さんをはじめとするスターライターが認知されだしました。

この時期に比べると、90年以降の後期はよくも悪くも後のポプコム、というかパソコン雑誌ではライターの存在が薄くなったように思うのですが、原因は・・・やっぱり長くなりそうなので、パソコン雑誌のライターさんの話は別の機会にあらためて書き直します。


@しかし時代は変わるのよね・・・
そんな楽しみだったRPG同時進行レポートですが、最盛期は86年から88年あたりの約3年間ぐらいではないでしょうか。

これは「イース」のようなお手軽ゲームが登場したことで、攻略記事がそもそも必要でなくなったこと。ストーリーが重視されるようになったことで、レポート風の記事はネタばらしにつながるので書きにくくなったこと。解けるまでの時間が短くなって商品サイクルが短くなり、数ヶ月も話題にすることがなくなったこと、などが原因としてあげられます。イース同時進行レポート第二回!っていってもユーザーはその頃にはエンディングみてるわけですし。また87年あたりから各誌はゲーム攻略の別冊付録をつけるようになって、誌面で継続的に取りあげることが少なくなるなど、様々な要因で徐々に攻略系の記事の存在が薄くなっていきます。



@ゲームの面白さを伝えるには?
現在、自分はニコ生でゲーム実況をおこなってますが、「ゲームプレイは完全ノーカット」というのが基本方針のひとつです。生主さんの中には経験値稼ぎなど、退屈な部分を放送外でプレイして、イベントシーンなど要所だけを放送される方も多いですが、自分としては、そういうめんどくさい部分もリスナーにみていただくほうが面白いだろう、と思っています。退屈なレベルアップでも、それを乗り越えてボスキャラを倒すというのは快感です。生放送というのは、そういう体験を共有するものであり、それが一番このゲームって面白いな、と伝えることであると思うんですよね。その共有が面白い、というのはRPG同時進行レポートを読んでいた経験から思っていることです。だからみんな退屈な生放送でもつきあってくだされ。


・・・・・
今回は長くなりすぎたかな。しっちゃかめっちゃかの文章スマソ。これにこりずにまた次回もよろです。次回「ポプコムを語る」は渡辺茂さんについて書こうと思います。

※1 アドベンチャーゲームって最近は「ADV」て表記するんですかね?自分の記事では昔通り「AVG」です。

ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(17/06/30)今こそ野球を語れよ、言葉でな! 今こそ野球を語れよ、言葉でな!

過去記事を転載(17/06/30)

 

自分はどちらかというと反セイバーメトリクスである。

 

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@12球団の選手名、昔はホントに全部覚えてたのだ

おっさんになるとイヤらしく損得で動いてしまうものだが、若者は意味のないものに情熱を傾けてしまうことがある。自分の場合は小学生や中学生の頃、84年から85年あたりのプロ野球選手の名前と顔を全員記憶していたことがある。当時1球団60人制だったから、12球団で720人。ほんとに野球が好きで、毎日のように選手名鑑をパラパラめくりながら野球中継をみてたら、自然と頭に入ってしまったのだ。今思えばそんなことより英単語でも覚えればよかった、と真剣に後悔しているのだが・・・若さゆえの無駄である。

 

しかし、あの頃の野球にはそれだけの魅力があったこともまた事実である。ホームランしか狙わないフルスイングの門田、孤高の打撃職人である落合、スーパースター原辰徳、元気印の中畑清マサカリ投法村田兆治などなど・・・とにかく選手が個性的だった。

 

「ああ、おっさんの昔はよかった話か」ここまで読んだ今の若い人はそう思うかもしれない。いけないいけない、オレも昔自慢する大人になっちまったなあ・・・なんて反省はしない!若者よ、はっきりと言ってやる「昔の選手のほうが個性的だったし、面白かった」ほんとにそう思う。あ、やっぱりごめん。若者のみなさん、どこか行かないで・・・まあ、最後まで読んで欲しい。

 

@個性がない選手が「いい選手」の時代

ではなぜ個性がなくなってしまったのか。それは「いい選手」の定義が変わってしまったからである。「セイバーメトリクス」という考えが日本でもこの10年かなり浸透してきた。野球ファンにとっては、MLBのアスレチックスがセイバーメトリクスを選手編成に取り入れた効果で優勝し、その記録である書籍「マネーボール」がベストセラーになったことを覚えているだろう。セイバーメトリクスという言葉は、いろんな意味合いで使われたりするの注意が必要だけど、簡単に言うと「先入観にとらわれず、数値による統計データだけで野球のプレイを判断する」という考え方だ。

 

ちょっとこのあたり説明しだすと長くなりすぎるので、要点だけ抑えておこう。ほんとにざっくりなので、詳しい人は、こまけーツッコミはなしでお願いしたい。

 

たとえばホームラン40本打つけど、三振が多く守備がド下手な選手がいるとする。イメージだけで言うとホームラン40本打つという派手な方に注目がいってマイナス面にはあまり気にしない。しかしセイバーメトリクスという観点でその選手の試合に対する貢献度を数値化してみると、ホームラン40本打つことのメリットより、三振が多く守備がヘタだというデメリットがうわまっているのがデータでわかるようになってきたのだ。

 

つまりは現在のプロ野球において、「いい選手」とはプラス面以上のマイナス要素がない「欠点のない選手」である。バッティングは3割打つけど守備がヘタ。守備がめっちゃうまいけど打率が1割台とかいう一芸に秀でた「個性的な選手」はいらない。それよりも打率も長打もそこそこで、出塁率が高く、きちんと守ることができ、脚も遅くない、肩も弱くない。そんな全能力で欠点のない、マイナス要素が少ない選手を揃えるほうが野球では勝利につながる。統計データ上の分析だとそうなるらしい。いい選手かどうかを見極めるのに、昔の感性を頼りにしていた時代から、現在はよくも悪くも野球は「データと統計」の時代になったのだ。

 

「平均的な選手ばかりで個性がない。だから今の野球はつまらない」と、単純に言うつもりはない。レベルは上がっているのだろうし、現在の野球も観ていて楽しい。そこは否定しない。じゃあ何が面白くなくなったのかというと、選手の問題じゃない。選手が平均化するのはヨシとしても、その選手を語るファンの方に問題があると思う。

 

 

@数値評価全ての時代

ファン同士が野球の話をする場として、今はネット上で交流することが多い。なんかこう書くと問題ありそうだけど、リアルで野球の話することって少なくなった。野球の話を振っても「そもそも興味ないんで」と冷ややかな視線が返ってくることが多い。それぐらいならまだいいけど、「野球ですかぁ?はぁ?」みたいなケンカなら勝ってやるよ?と言わんばかりの人もいて困ったもんである。野球がこの国の国民的娯楽だったのは、とうの昔の話になってしまった・・

 

ちょっと話が横にそれた。ともかく深く野球の話をしたいと言う人はネットで議論をしている。最近は見てないけど、自分も2chねる全盛の頃にはめちゃめちゃ書き込んでいたのだ。ここだけの話だけど。

 

さて、このネット上の議論ていうのは、みんなでわいわいきゃっきゃっうふふでやっているときはいい。しかし、「どの選手が一番なのか?」のような、比較になると荒れ出して収拾がつかなくなる。そんなときにみんなが納得出来るのは何かというと、数値やデータなんである。別にネット上の野球の議論に限らず、今は世の中すべてそうなんだけど、データっていうのは考え方がちがう人達が理解しあえる共通言語となっている。

 

客観的判断ができる数値で語るのは別に問題ではない。しかし、そこで議論が終わってしまうのはつまらない。たとえば、プロ野球最速のボールを投げたのは誰か?大谷のMAXがスピードガン計測で160km/h、江川が150km/h。大谷のほうが打ちにくい。終了!とか言い出す人がいる。

 

「いやいやスピードガンに現れない打ちにくさとかあるんじゃないの?」「でも江川のほうが早く感じるけどなあ」とか言い出すと、なんか頭悪いと言われかねない。参考要素のひとつとしての数値ではなくて、数値が絶対になりすぎていて、あらがえない空気があるのは残念なところだ。これがネットだけの現象かというと、ネット上だけでなく雑誌や書籍でもそういった傾向は出てきている。世の中全般の空気として広まっているようだ。まあ、そういった本を買うのは、ネット上で議論している野球ファンなんだから、正しくニーズが反映されていたら当たり前か。

 

@今こそ言葉で語れよ野球文学青年

つまりは選手の能力もデータで表され、アベレージ型の選手が評価される時代。そしてファンもデータで野球を語る時代である。

 

だからといってプロ野球から魅力がなくなったとは言わないけど、ちょっと面白くなくなってきてるのではないか。繰り返すが、これは選手の問題ではない。アベレージ型の選手全盛の時代なら、それはそれで面白いのだ。問題はファンの「語り」が面白くなくなってきてるように思う。あまりにもデータだけで語りすぎていないか。数値やデータは誰もが納得できる指標だ。だけどそれは裏を返せば、全てのことがひとつの価値観だけに統一されてしまうということである。それって何というか面白くない。ていうかロマンがない。

 

20年後、「イチローってどんな選手だったの?」って聞かれて「OPSがXXX以上だったんだよ」ってちょっと味気ない。時間がたったとき、お気に入りの選手を数値「だけ」で語るのってつならない。間違いなんてあっていいと思う、どっちが上とか下とかいう結論も必要ない。喧々ガクガクの議論が、言葉の応酬が面白いんじゃないか。

 

もう一度言うけど、数値で語るのも悪くない。しかし、もっと言葉で野球を語ってもいいんじゃないか。ありったけの自分の言葉で好きな野球選手を語ろう。このデータ全盛の時代だからこそ、数値の中に選手が埋もれてしまわぬよう、プロ野球ファンは言葉を尽くすべきではないか。

 

数値って納得はできる。でも心を震わすのは言葉なのだ。このふたつのバランスが大事。ほら、野球だって投打が噛み合わないと勝てないからね。