あーでもなければ、こーでもない!(ここがメインになるのか??)

読書、映画、プログラミング、野球などなど。おもいがままに書いてくぞ!

ブログ引っ越し中・・・過去記事から転載(16/09/15)きよぼんのドラマにもいろいろある PART1

過去記事から転載(16/09/15)

 

これ5年前の記事かあ。ウォーキングデッドはもうすぐ完結ですね。

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映画やゲームについて書いてきたけれど、今回はドラマ。しかも海外ドラマの特集です。「えええ海外ドラマ否定派だったんじゃないの?って言われる方もいらっしゃるかもしれません。そうなんです。自分は海外ドラマみない派。それどころか否定派だったんですが、食わず嫌いもよくないかなー、って見始めるとこれがドンはまりしちゃってさー。いやあ最近は休みの日は5話分くらい余裕で観るヘビー視聴者ですよ。うん、海外ドラマは面白い!前言撤回!意見を変える柔軟性大事!反省することはもっと大事だけどな!

そんな自分がオススメする海外ドラマ。レビューとかいうのではなく、今回は未見の方に紹介させていただくという感じです。今観てるドラマは、ほとんど完結してないので、こういう書き方にしました。

といってもみんな有名作品です。なぜ有名作品ばかりかというと、海外ドラマは打ち切りがあるから怖い。これは自分が海外ドラマ否定派の理由のひとつだけど、シーズンが進んで、これから話が面白くなりそうだぞ、ってところで、視聴率がとれないなどの作り手側の都合によってバッサリ制作をやめてしまうことがある。こんなのって、ドラマを楽しみに観ていた人にとってはアフォらしいですよ。海外はビジネスライクっていうんでしょうか。日本だと何らかの形で最後までお話を完結させようとする分、誠実な感じがします。だから自分が観る海外ドラマは評価が固まって、急な打ち切りがなさそうな有名作品が中心。しかし有名作品でもときには途中で切られることもあるから、油断できないんですけどね。え?そのスリルも含めて海外ドラマはみるのが楽しみ?そんなんイヤだよ。安心して最後までみたいですう。

ウォーキング・デッド
ゾンビが蔓延する世界で生き残っていく人間達を描く。いわゆるゾンビものです。ゾンビの映画って大好きなジャンルですが、欠点は2時間で終わってしまうこと。もっともっとこの世界に浸っていたいのになあ、という思いをかなえてくれますこのドラマ。現在※S6まで制作されていて、S7以降の予定もあるので、もう何十時間とどっぷりとハマれます!

物語の尺の都合で登場人物が「オレは地獄を観てきたんだぜ」と匂わせるだけなのに対して、その地獄がどんなものだったかが描かれて観ることができるというのは面白い。多くのエピソードを重ねることができるという、ドラマの強みを生かしたゾンビモノとなっています。

最近はゾンビの映画も多様化してきて地味な話も多いですが、映画はやっぱり派手な作品が多い。ウォーキングデッドは派手な話から地味な話まで多様に取りそろえられています。映画のようにキャラがその都度変わるのではなく、主人公を中心としたキャラ達にエピソード分の厚みが加わっていく面白さがあるのがとてもいい。ソンビものが好きで未見の方には超オススメの作品です。

ウェイワード・パインズ
捜査官の主人公イーサンは、交通事故に遭ってウエイワード・パインズという街の病院に運ばれる。ケガが治ったイーサンは街から出ようとするが、不思議と街から出ることができず、しかも住民にも外へ出さすまいと妨害される。街にいるうちに住民達がどこかおかしいことに気がついて・・というストーリー。

自分はこういう何か違和感がある世界へ放り込まれる主人公、という設定が大好き!だからどーしても点が甘くなってしまうかもしれませんが、傑作なので未見の方は是非みていただきたいです。

そして未見の方にネタバレしておきます。

何をいってるんだこいつと思われるかもしれませんが、おそらくそのほうがいいと思います。
いや、これあなたのためを思ってです。

このお話、SFです。

これだけ頭に入れておいてください。2話目当たりまでを見た感じでは、横溝正史のような田舎の因習がからむ話とか、心霊的なものを期待してしまうかもしれません。しかしこれ全く違います。SFな展開がくる、と心の準備をしておいてください。自分の場合は、なんか事件ものなんだろうなあ、と考えて観てたら3話でなんだこりゃあ!?という展開があって、とっても戸惑いました

先がわからないという楽しみもありますが、その一方で全く違う方向へ話が進むと、興味を失うということがあります。それはちょっともったいないと思うので。

いやーオレって親切だなあ。え、余計なお世話・・・?

●ハウス・オブ・カード
ケビンスペイシー演じるフランク上院議員が大統領を目指す政治ドラマ。このフランク、とっても悪い奴です。目的の為なら手段を選ばない。陰謀、恫喝、裏切り、マスコミ操作と、ありとあらゆる手をつかってのし上がっていく。人から問い詰められてピンチの場面がやってきても、しゃーしゃーとウソをついて切り抜ける頭の回転の良さ。さすがのゲビン・スペイシーの演技に、視聴者はぐぬぬとホゾを噛みながらも、惹きつけられてしまうものがあります。

白い巨塔」の財前五郎もそうですが、なぜに人は「悪いこと」をする人から目を離せなくなるのでしょうか。人間は強い正義を求める一方で、お化け屋敷でも覗くかのように、こういう話をみたがるというのは不思議なもんです。

現在S4まで観ることができて、S5以降も話が続く予定だとか。観ているとS4のラストでとんでもないことに話が転びます。おそらくS5以降で、このお話の本当のテーマが語られるのではないでしょうか。政治を舞台にした権力とは何かという問いかけ。これからのクライマックスに大期待です!

ブレイキング・バッド
ガンで余命わずかを宣告された高校教師ウォルター・ホワイトが、自分の死後残される家族のために財産を残そうと、麻薬の密造密売をはじめるというお話。海外では多くの賞を受賞して、かなり評価が高い作品です。

元警察官の仕事師マイク、お金だけで動く弁護士グッドマンなど魅力的なキャラが多数登場。ストーリーも、妻の不倫、親類が麻薬を取り締まる側の捜査官であること、ライバルとなる他の麻薬製造業者などいろいろな要素がからむのですが、とっちらからず、うまく話が転がっていきます。

このあたり焦点の当て方がうまいというのでしょうか、今どんな状況で、何が危機なのかラインがまっすぐ引かれているような見せ方のうまさを感じる作りです。

それでもS2あたりまでみた人からは「たしかに面白いけど、これそんなに絶賛するような内容なの?」という意見を持たれる方もいるかもしれません。実は自分もS3でいったん観ることを中断しました。

しかし、このドラマの見せ場はS4以降!S4からはラストへ向けて一直線!そしてこれまでの伏線が一気に回収されていきます。それはもうドミノ倒しのような心地よさ!伏線といっても思わせぶりに、匂いがするくらいしつこく張られたものでなく、ああなるほどそんな意外な事がつながっていくのか!という驚きがあるのです。これはもうドラマという長い時間でストリーを語るからできることであり、感じられることでしょう。時間が長けりゃいいってもんではないですが、長い時間つきあったからこそのご褒美っていうのもあるもんです。S3あたりまでも充分面白いので、我慢して観ろっていうのは違いますが、是非最後まで観ていただきたいです。

今回はこのあたりで失礼。じゃあまたよろしくです。

※S..シーズンのことです。

ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(16/08/06)ポプコムを語る その9 掲載されたマンガ

過去記事から転載(16/08/06

 

単行本にもまとめられてないですが、もう一回何かの機会に読みたいですねー

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@マンガが載っていた
パソコン雑誌のポプコムですが、マンガも誌面をにぎわせていました。その種類も、プログラミング講座、ゲームの攻略方法、ゲームをマンガ化したもの、ゲームと関係のないオリジナルのストーリーものまで多種多様。ポプコムは誌面の内容をプログラミングからゲーム情報へと重心を移すのですが、マンガも誌面にあわせるように変化していきました。今回は掲載されたマンガとその内容について語ります。

※ちなみに今回は4コママンガ、イラスト系についてはふれておりません。4コマだと「だれがアホやねん」とか大好きなんですが、また別の機会に。

@誌面において

マンガが本の中で掲載されていた場所は、中ほどか一番うしろ。ほとんど1本でしたが、2本載ることもありました。本誌の内容とあまり関係ないストーリーマンガだと一番うしろに掲載されていて、裏表紙から開くとマンガの扉絵がのっていました。つまりは左開きの本誌とは逆からページをめくっていく形になります。ストーリーマンガを乗せるときは、誌面の内容とは離れたものですよ。オマケですよ。ということを表す意図もあったのでしょうか。

個人的な印象で言うと、当然ながらポプコムにおけるマンガというのは脇役であり、誌面が食事なら、マンガはデザートでしたね。ただ、それでも載っていればちょっとうれしい、やっぱり続きは気になる。その場にいてくれてよかった、という脇役であったと思います。

@パソコン学習マンガ
初期のプログラミングが中心の頃は、パソコン学習マンガが載っていました。「らくらくマイコン」と「おれたちマイコン族」です。両方ともパソコン初心者の中学生が主人公。このあたりはポプコムの読者層を意識したものだと思われます※1





初心者の中学生が、弟やおじいさんなどパソコンの知識を持っている周りの人達に教えてもらいながら、ゲームや住所録のデータベース作りなどにチャレンジする。という構成になっており、初期のお行儀のよい誌面を反映してか、ほのぼのとしたストーリーが展開されます。

肝心の学習マンガとしての出来ですが、今読み直してみてもよくできています。

「マンガでわかる●●」というマンガによるHOWTOものってたくさん出ていますが、わかりにくいものも多いんですよね。ひどいものになると、ストーリーの展開だけがマンガで、説明部分になると文字になってしまう、というのもあったりします。



ゲームセンターあらし」の作者であり、初期のマイコン学習マンガの名作「こんにちはマイコン」などの著者・すがやみつるさんによると、わかりにくい学習マンガの原因として

「監修者のセリフの丸写しになっているものが多い。マンガの描き手がちゃんと自分で理解して、ネームやコマ割りで絵解をしなければ意味がない」

と発言されています。なるほどそういう視点でこの2作品をみると、学習マンガとしてうまく構成されていることがうかがえます。非常によくできてるマンガなんですが、当時の自分はこれを読まずにゲーム紹介ページばっかり読んでたんですよねえ・・・しっかり読んで勉強しておけばよかったなあ。


@攻略マンガとゲームのマンガ化
80年代中盤になるとゲームが誌面の多くを占めるようになります。マンガもゲームに関連するような作品が掲載されるようになりました。まずは87年に掲載された「ガンダーラ」というゲームの攻略マンガです。



作者は「ガンダーラ」のキャラデザインや原画を担当された、槇村ただしさん。開発者がみずから描くという珍しい作品でした。槇村さんをはじめ、音楽担当のすぎやまこういちさん、ポプコム編集部のKさん、ベラ子さん、プロデューサーであるENIXの髙野さんなど、実在のキャラクターがマンガの中に登場するという、にぎやかな作品でした。毎月誰かひとりがゲームの主人公であるシッダール役となり、ゲームの世界を舞台に攻略過程を冒険物語風に描くという形式で、ギャグもあり面白かったですね。

マンガの中でキャラクターの誰かが読者のためにゲーム中の攻略方法を明かそうとすると、「それはだめだー!」とプロデューサーであるENIXの髙野さんが登場して止めに入るなどコンビネーションが絶妙。ゲームの攻略情報を柱に、うまくストーリーが組み立てられていました。もっとこういう攻略マンガを読みたいと思ったものですが、このマンガが掲載されたのは87年。この後、ゲームは攻略するものから、ストーリーを楽しむものへと変化するので、ヒント情報みたいなのは必要なくなっていくのでした。もう少しこういうマンガが早く出ていれば・・・


マンガを使ったゲームブック風の読み物もありました。ここはさらっと触れるだけで。



ポプコムでマンガ化されたゲームというと、「サイキックウォー」「サバッシュ」などがありました※2



「サイキックウォー」はこの頃のRPGではありがちでですが、レベルアップとマッピング重視でストーリーが表にみえるタイプではありません。そのため、マンガでストーリーを補完するというのは、面白い試みだったと思います。毎月楽しみにしてたのですが、事情があったのでしょうか。連載は中途半端なところで第一部完として中断されてしまいました。



「サバッシュ」はポプコムが企画制作したゲームのマンガ化。ゲームから設定だけ借りた、あまり関係ないストーリーで16話で完結しています。

おそらく、ゲームのマンガ化はメディアミックスによる相乗効果を狙って企画されたものでしょう。ただ、自分の当時の感覚だけで言うと、大きなムーブメントにはつながらなかったような印象です。

@マンガが先行していく形に
ポプコムがリニューアルされて版が大きくなり、パソコンゲーム雑誌から、ゲーム雑誌、さらにゲーム雑誌と呼ぶのも微妙な何でもありのような状態になった晩年の90年代。マンガはこれまでのパソコンに関係するものや、ゲームを原作とするものといった縛りから離れて、独自のストーリーマンガが乗り始めます。といっても、後にゲーム化されたり、ゲーム化が企画された作品もあります。つまりはゲームのマンガ化から、マンガのゲーム化という、リードする側が逆転する形になりました。




「リバーサー」。ファンタジー世界の勇者のパーティー達が東京に現れ、同じく東京に出現した魔王と激戦を繰り広げるというストーリー。現代日本を舞台に魔法や剣で戦うというのがカッコよかったですねえ。この勇者と魔王が戦闘してビルがぶっこわれても世間ではニュースにはならない。それは警察も越えた謎の機関がもみ消しているからで、陰謀に気づいた刑事がその真相を追うという展開もあり、都市伝説好きの自分のツボ入りまくりで毎月楽しみにしてました。しかしながら雑誌の廃刊で無念の未完・・・・ゲーム化の話もあったようですが、これも廃刊の影響で立ち消えになったのでしょうか。




宇宙冒険少女NAMI。宇宙で運び屋をやる少女NAMIの大活躍を描く。これも面白かったですね。アドベンチャーのシステムでゲーム化されました。




コラダイン。あのXANADOUのマンガを描かれた都築和彦さんの作品です。

@マンガは誌面の反映だった
当時のパソコン雑誌にマンガが載るのは珍しいことではありません。他の雑誌を観ると、マイコンBASICマガジンでは、くりひろしさんによるパソコン講座、コンプティークではゲームのマンガ化や麻宮騎亜さんの「神星記ヴァグランツ」などの本格ストーリーもの、テクノポリスでは佐藤元さん、矢野健太郎さんらによるゲームレビューマンガ、ログインでは島本和彦さんによるSFショートショートの空気を持つ「ワンダービット」、他に「インサイダーケン」などが掲載されていました。※3

ただ、他の雑誌はマンガの内容、傾向に一貫性があったのに対して、ポプコムはそのときどきで掲載されるマンガが大きく変化したところが特徴でしょうか。

誌面の影響を受けた多種多様のマンガ。逆から言えば、影響を与える側の誌面のコンセプトが、ポプコムという雑誌はめまぐるしく変化したからだと思われます。よく言えば柔軟。悪く言えば、方針がぶれているというか・・・ポプコムに掲載されたマンガは、そのときどきの誌面をくっきりと反映したものだったのでしょう。

誌面の変遷については詳しくは別の機会に。また次回!

※1 創刊1年くらいは大学生くらいがターゲットだったのではないだろうか。それぐらい文章が硬い。85年あたりから、内容、文章がぐっと柔らかくなる

※2 「クリムゾン」のマンガ化もありました。画像が用意できしだい。追記します

※3 ログインと言えば「べーしっ君」。でも今回は4コマ以外ということで取りあげておりません

ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(16/05/27)読んだ本、感じるままに書き飛ばし! PART2

過去記事を転載(16/05/27)

 

読書感想も最近書いてない・・・また書きたいね(こればっかり)

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きよぼんである。(JD加藤さん的な書き出し)
最近読んだ本の感想を、ちゃんとまとめもしないで、書き飛ばします!

●映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと
 シド・フィールド

英語を覚える方法は年齢によって違うという。子供のときは脳が柔軟なのでとにかく英語をしゃべり、英語と触れあうことで感性を育てることが大切。一方、大人になると理屈で考えるようになるので、文法から理解するというアプローチが有効らしい。

これって物語作りにも言えるんじゃないかと思っている。つまり若い人は枠にとらわれず、自分の感性で思うように書き進めればいい。しかし、ある程度の年齢になるとキチンと方法論を理解してからのほうが、やりやすいのではないか。

そうすると、ハリウッド関係の脚本術みたいな本っていうのは最適である。世界を代表するエンタメ映画を提供し続けるハリウッド。それだけに仕組みとしてのお話作りのノウハウがたくさん公開されている。「作品のテーマとは何か?あなたが社会に訴えたいことは?」などという作品の意義がどーちゃらこーちゃらということにウンウン悩むより、「主人公の目的を設定し、真反対の性格の対立する人物をライバルに持ってきて、クライマックスはエンディングから逆算してシーンを考える」と、話を仕組みで考えた方が大人にはしっくりくるはずだ。物語をつくりたい。しかし大人になると、時間はない。だから「オレが書きたいものはなんだろう」と悩んでる暇はない。そんなことで時間をつぶすくらいなら取りあえず初めて見ること。仕組みとしての物語作りを学んで初めてみるのはいかがだろう。

もちろん、日本人が書いた本にも、この本のような物語作りをシステマチックにとらえている本はある。というかそっちのほうが多い。大塚英志さんとかね。

でも日本人が書いた本って相手の顔がみえるから身近すぎないですか?海外のものをすすめる理由は、方法を学ぶ相手との距離感がちょうどいい気がするのですよ。

プチコン3号 SMILE BASIC 公式ムック
 原拓也
いろんなプチコン関連の書籍買ったけど、この本がいちばんわかりやすい。関数の引数のひとつひとつの意味を、キチンと解説してくれてるのがいい。他の本は、省いている場合が多いかな。他の本は「細かいこと置いといて、とりあえず動かしてみよう!こまけーこたぁいいんだよ!」というアプローチで、この公式ムックのほうはプチコンをキチンと理解して、その先にある次の何かを作ろうという感じがする。だから細かいところが気になる人はこっちのほうがいいのかな。

アンダースロー
 渡辺俊介
プロ野球で希少なアンダースロー投手、渡辺俊介の技術論が語られた本。一軍に定着していない時期からWBCの代表にまでいたるまで、プロ野球選手として技術を工夫していく様がおもしろい。そう、工夫や研究という言葉が当てはまると思う。努力という言葉とは少しちがうかなあ。努力という言葉には、何かを信じて一心に脇目も振らず行動する、というニュアンスがあるけど、この本に出てくる渡辺俊介は考えることに貪欲。いいことはすぐに取り入れるし、自分にあわなければやめる。地道な行動も大事だけど、その前にはちゃんと考えないといけない。努力っていう言葉より、工夫っていう言葉のほうが何かをやるときいいよね。

●有名人になるということ
 勝間和代
経済評論家の勝間和代さんはあるとき、誰にプロデュースされたわけでもなく、偶然でもなく、自分のやりたいことのために、有名になる戦略をたてて行動に移したという。本では勝間さんが有名になったことで得られたメリット、またデメリットについて書かれている。面白いのは、ご本人が「勝間和代」という自分自身を商品とみなし、俯瞰して完全に客観視していること。本のなかでもまるで他人事のように彼女自身が、勝間和代を評価しているのがユニーク。

いやーこれなかなかできないっすよ。他人はいくらでも評価できるけど、自分には甘くなったり厳しくなったり、それ以前にわからなかったりするもんだし。このあたりはさすがに経済評論家というか、いい意味でデータを読んで冷静に判断することに慣れてる人なのかなあと感じた。だって自分はできないもん。自分かわいい、自分大好きだし♥なんかあっても自分悪くない。自分がんばれー!っていうタイプだもんね。

以上!それではまた!

ブログ引っ越し中・・・過去記事から転載(16/04/23)オレ的ゲームワールド 軽井沢誘拐案内

過去記事から転載(16/04/23)

 

いろいろ甘い文章。また書き直したい。それにこれが第一弾だったはずなのに、第二弾いつだっていう話

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@アドベンチャーゲームへの憧れ
1985年。ファミコンブームの真っ只中、完全に波に乗り遅れた中1の自分がいた。クラスの連中はマリオだゼビウスだと盛り上がってるのに、全く話に入っていけない。でも別にどうでもよかった。当時のファミコンのソフトはアクションゲームばかりで「あんな反射神経だけのゲームをプレイしてもつまんねーな」と、負け惜しみでなく本気で思っていた。若さゆえである。

しかし、ファミコンには興味がなくてもパソコンには興味津々だった。聞くところによるとゲームだけのファミコンとちがって、パソコンは自分でプログラムを組めるとか面白そう。それにパソコンではアドベンチャーゲーム(AVG)と呼ばれるものが流行ってるらしい。なんでも自分は物語の主人公になり、いろんな謎を解きながら、行動の選択によって物語が変化していくという。なにそれ、すごい!当時の自分はマンガやSF小説、江戸川乱歩なんかを読んでいた読書少年だったので、なおさら物語の主人公になれるという夢みたいな話に興奮したのである。こうしてファミコンには興味がなかったが、パソコンのAVGには並々ならぬ憧れを持ちながら中1時代は過ぎていった。

@なぜこのソフトを買ったのか



中2になった1986年の夏休み、親にパソコンを買ってもらった。PC88FRである。家に届いた日「ちゃんとパソコンの勉強するからねー」と言った次の日には、現金書留でゲームソフト、あのドラクエ堀井雄二さんが開発した「軽井沢誘拐案内」を注文していた。

なぜこのソフトを購入したのか、理由をよく覚えていない。広告を見ると「ウイングマン2」や「北斗の拳」など、アニメグラフィックを使用したAVGが面白そうに見えた。だけど、「ライン&ペイント」方式で絵が描かれる軽井沢誘拐案内のほうを選んだのだ。

当時の自分には「アニメ絵は邪道。伝統のライン&ペイントで描かれたAVGこそ本道」という、よくわからないこだわりがあったのを覚えている。これも若さである。そして広告の「あの堀井雄二が華麗に放つロマンティックアドベンチャー」とかいう言葉も決め手だった。といっても、ゲーム音痴だった自分はドラクエも知らず、なおさら堀井雄二という名前を知るわけでもない。「あの」と言われても「どの?」という状態だったのだが。広告に名前がのってたから、きっとすごい人だと思ったのだろう。若さはホント怖い。

@めくるめく時間



軽井沢誘拐案内」が届いたのは3日後くらい。いよいよ憧れのAVGをプレイしてみた。これがAVGか!楽しくて楽しくて、もうドバドバ脳汁出まくりで遊びまくった。毎日、夜の10時から朝の4時までプレイしていたのだけど、ほんと一瞬のように感じた。

なぜ夜だけ遊ぶことにしたのかというと、楽しすぎて現実へ帰ってこれないんじゃないかと本気で思ったので、意識して抑えたからである。また、パソコンを勉強すると言った手前、親が寝てからじゃないと、気まずくて遊べなかったという事情もあった。そんな日が何日も続いた最高の夏休みの思い出である。

@ストーリーの見せ方がうまい
さて、ではこのソフトの魅力をみていくことにする。
軽井沢誘拐案内は、「見る」「調べる」などといったコマンドを、キーで選択するコマンド入力式のAVGである。ストーリーは主人公(名前は自分で入力できる)が恋人・久美子の別荘に招かれるところから始まる。別荘についてみると、久美子の妹が買い物にいったまま帰ってこない。誘拐されたんじゃないかと警察に相談するが、家出でしょう、しばらく様子をみてみてはどうですかと言われて、とりあってもらえない。渚が心配な二人は、自分たちで探すことにする・・こうして往年の角川映画的物語がAVGとして展開していくことになる。

渚の行方を追っていくと、山道で彼女の財布が落ちている。山道には争った後がみつかり、池のベンチには謎のタロットカード。そしてある人からは渚がXXと会っていたという証言。流れるように、めくるめくストーリーが進んでいく。

このストーリーを転がしていく展開が非常に秀逸なんである。メッセージで情報を提示して、その情報に従ってプレイヤーは次にやるべき行動を理解する。ひらめきによる小さな脳の快感
が連続して起きる感じがいい。ゲームでストーリーを語る場合の作劇法がしっかり作られていると言って良いと思う。

小説や映画、ドラマなどには一定の作劇法がある。たとえば「言い方でキャラクターを印象づける」「登場人物の欲求をしっかりと述べておく」「最初の事件をなるべく早く起こす」などである。もちろん、AVGだって物語であるから、こういう従来の作劇法も使われる。その上でゲームという表現における作劇法、たとえばヒントの出し方であったり、メッセージに注意を引く一文をいれおくという工夫が、巧みに配置されているのは見事である。次へ次へと行動を起こさせるメッセージの配置が本当にうまい。初期のAVGにして、この気配りとは堀井雄二恐るべしだ。

@「謎解き」は体験なのだ!



メッセージを考えて行動していけば、サクサクとゲームは進んでいく。いや、コマンド選択式のゲームなので、ぶっちゃけ何も考えずにコマンドを順番に総当たりしていてもゲームは進んでしまう。しかしゲーム中何カ所か、ただコマンドを押すだけでは先へ進めないようになっている。「謎解き」をする場面が出てくるのだ。

「謎解き」とはいろんな意味を含み、人によって解釈がちがうこともある。この場合どういうことを指しているのかというと、ゲーム中の情報を整理して、正解を答えないと先へ進めない仕掛けのことだとしておく。

ゲーム中の例をひとつ挙げると、「しめあげる」というコマンドがある。これはゲーム中の登場人物が、何か矛盾した発言をしたときにと問い詰めるためのもの。「そのXXXってXXXよね?」と登場人物が言ったとき、しっかりとゲーム中の情報を理解して推理すれば「あれ?なんで、この人がXXXをXXXって知ってるんだろう?」と気づく。そこですかさず「しめあげる」コマンドを使えば、相手に力尽くで迫り、知ってることをしゃべらせ、先へ進むという仕掛けになっている。

このような単純なコマンド総当たりだけでは進めない「謎解き」があるのは面白い。なぜならゲームというメディアの醍醐味のひとつは、プレイヤーがモニタの中の世界に参加できるということにある。「謎解き」があると、ただ外側からストーリーを眺めるだけでなく、プレイヤーとして内側に入ってゲームを「体験」することになるのだ。この「体験」の気持ちよさはゲームというメディアの特性を生かした感覚と言えるだろう。



@メッセージが面白いのだ!
もうひとつ言うとこのゲーム、メッセージが面白いのだ。それもメインのストーリー部分以外の無駄な部分が凝っている。コマンド選択式ゲームというと、押したコマンド全てがストーリーを進ませるわけではない。システム上、むしろ押したコマンドの9割以上が無駄打ちに終わる。「見る」「調べる」というコマンドを何度も何度も繰り返して、そして何度も何度も「何もありません」「何もみつかりません」というメッセージを繰り返し見ることになってしまう。しかし、このゲームはそういう無駄なメッセージにも気を配っているので楽しめる。たとえばゲーム序盤では、主人公と一緒に行動する恋人の久美子が、ゲーム中のメッセージの語り手となっている。この久美子が、無駄なコマンド入力の反応で、気の利いたメッセージをしゃべってくれたりするのがいい。

ゲームはメインのストーリーも大事だけど、何度も見るこの無駄メッセージがゲーム中の空気作りのひとつになっていることは間違いない。たとえば小説でも、メインストーリー以外の、登場人物同士のちょっとした会話や、ウンチクがその小説の面白さを支えていたりするものである。このメッセージの練り込みが、ゲームの演出として、面白さの土台をつくっているのだろう。

@光る堀井雄二のセンス
その昔、AVGはコマンド入力型が主流だった。「ミル テレビ」「シラベル ツクエ」など、プレイヤーが思いついた動詞と名詞をキーボードで入力する。その動詞や名詞を探すことがゲームの要素となっていた。しかし、このシステムはなかなかとっつきづらいものがあったのも確かである。その後、85年あたりから、使える動詞や名詞をあらかじめ用意されたものから選択する、コマンド選択式のAVGが登場し始める。コマンド選択式AVGはシステムがなじみやすい反面、コマンド入力型AVGのファンからは、「このシステムではコマンドを順に選んでいくだけで、簡単にゲームが解けてしまう。ゲームにならないのでは?」と言われたものだ。

そんな意見に対して、早くからコマンド入力AVGに注目していた堀井雄二「ゲームが簡単に解けてしまうなら、何度も遊びたくなるようなストーリー、シナリオを用意すればいい」、という発想をもとに、コマンド入力型AVGに適したゲーム作りを考えたという。

ただし、いわゆる「ストーリーがいい」というのは、ストーリーが「いいだけ」ではゲームにならないのである。ゲームという表現に、いかにマッチしているかが大切なのだ。

これより後のCDROMの時代あたりになると、一時期のAVGというジャンルは、派手なアニメーションを入れて、ストーリーをみせることに重点を置いてゲーム性を省くようになっていく。ただボタンを押していくだけでストーリーが進んでいくようなソフトが登場してきて、「これなら映画や小説のほうがボタンを押さない分楽でいいんじゃない?」という皮肉を言われることにもなった。これは確かにその通りで、ゲームにはゲームならではの表現が必要なのだ。

軽井沢誘拐案内」をみてみると、ここまで書いてきた、メッセージによる物語の運び方や、謎解き、凝った無駄メッセージなど、ゲームで物語るという表現がいっぱい詰まっている。このセンスは本当に素晴らしい。

ゲームに理解や知識がある人には、今回の指摘は「この手法とかって、ゲームで当たり前の話じゃない?」と思われたかもしれない。しかしこれはゲーム制作がトライアンドエラーを繰り返して手法を確立させた後の話ではない。黎明期につくられたゲームが、大事なポイントを、すでに押さえていたということだ。当時からゲームでストーリーを表現するということが、どのようにあるべきか、堀井雄二は気づいていたのだろう。流石という他ない。

@出会えたという幸運
そんな名作の「軽井沢誘拐案内」にどんはまりする日々は、8月のお盆あたりから始まり、5、6日くらい続いただろうか。途中でどうしても進めなくなってヒント券を送ったりしたので、エンディングを観たのは夏休みの終わり間際だった。

この夏休みの楽しさは今でも忘れることがない。そして「なんてコンピュータって面白いんだ!」という思いは、その後の自分の人生で感動や好奇心や楽しさに出会うきっかけとなった。親にはウソついてゲームやってたけど、このときの体験がなかったら、パソコンは早々とホコリをかぶり、後のお仕事にもつながらなかったかもしれない。たかがゲーム、されどゲーム。あのとき最高に面白いゲームに出会えたことは、本当にラッキーだった。

蛇足承知でもう少しだけ書くと、実を言うと自分がプレイしたAVGの中で「軽井沢誘拐案内」が今でも一番面白いAVGだと思っている。でもやっぱり初体験のソフトだからそう思うだけかなー、と考えていたけど、今回この文章を書くために、このソフトについて再考してみて、やっぱり名作であることに間違いはないと再確認でできた。もちろんひいき目あるけど、冷静にみてもやっぱりよくできた作品ある。でもまあ、ちょっとベタボメしすぎた感もあるけども。そこは「若さゆえ」甘めにみていただきたい。

あのときこのゲームに出会わなかったらどうなっていたのだろう。別の道もあったかもしれない。でも、今の道でもそこそこ楽しいことがあったので、まあいいか。

ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(15/06/19)俺とパソコンの年代記 PART1 82年~ 連れが「オレの家にマイコンがきたんだよねー」とか言ってきた

※過去記事から転載(15/06/19)

 

このシリーズもほったらかしだ・・・続き書きますよ!

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@82年 何それ夢みたいな話!?



「オレの家にマイコンがきたんだよねー。これでいろんなゲームが遊び放題になったんだよ」

友達のK紫くんが、夢みたいなことを言ってきたのは、自分が小学四年生、82年のときの話だ。

当時、コロコロコミックに連載されていた「ゲームセンターあらし」の影響もあって、小学生の間ではゲームセンターブームだった。さらにはゲームウォッチに代表されるLSIゲームなどが発売されて家庭でも遊べるようになり、日本全国の子供達がテレビゲームという新しい遊びに夢中になっていた頃である。

しかし、ゲームセンターでは1プレイに100円というお金がかかる。LSIゲームは電池が続く限り無限に遊べるが、親からたくさんの種類を買ってもらえるわけではないので、同じゲームを飽きるほど遊ぶことになる。「いろんな種類のゲームを、思う存分遊びたい!!」というのは、グリム童話のお菓子の家みたいな子供の夢だった。

その「いろんな種類のゲームをいくらでも遊べる」という夢みたいなことが、実際にあるという。そんなにマイコンてすごいのか!と、びっくりするしかなかった。当時の自分はマイコンというのはコンピュータの親戚?、というぐらいの知識しかなった。コンピュータで言えば「ゲームセンターあらし」で、さとるという秀才の少年が、コンピュータを使うシーンがあったので、何かを入力したら、いろんなことができる。すごいな。面白いな。くらいは思っていたが、逆に言えばそれぐらいのことしか知らなかったのだ。

K紫くんは、マイコンをみせてやるから、今度の土曜日に遊びに来い、と言う。K紫くんというのは、この頃毎日遊んでいた小学生のときの親友である。親友であり、ライバルでもあった。彼とはマンガなど、趣味がぴったりあった。好みが一緒というだけでなく「昨日のどらえもんて、のび太より、ジャイアンの行動が泣けるよねー」など、自分はいかにストーリーの本質を理解しているかを語り合ったり、「コロコロコミックとか子供っぽいよね、これからは週刊少年ジャンプだよ」とか、「マンガより小説だよ。江戸川乱歩はおもしろいよ」など、自分はいまこれに注目している!これおもしろいと感じることができるオレ進んでるだろ?みたいにセンスをぶつけあい、影響を与えあう仲だった。ちょっと痛い関係の相手同士だったのである。そのK紫くんの家にマイコンが来たという。「先をこされたなー」という負けた感じ。今思うと本当にどうでもいい小学生のプライドだけど、あの頃の自分にとっては大問題だった。なんだか苦い気持ちを噛みしめながら、土曜日までを過ごすしたことを覚えている。

@数字がなんかならんでるぞ



土曜日、K紫くんの家にいくと「今日はこっちの部屋だから」と、いつもの子供部屋ではなく、お父さんの書斎に通された。当時、マイコンと呼ばれていたコンピュータは、誰もが買うようなものではなかった。一部の電気工作に興味ある愛好家や、大学や仕事関係で、なんらかのつながりがある人達だけが触っていた時代である。K紫くんもマイコンを買ってもらったわけではなく、お父さんが電機メーカーに勤めていらっしゃったので、その関係で勉強も兼ねて手に入れたものだったらしい。

書斎に入れてもらうと、窓際には書き物をする机、反対側には本棚。そして部屋のまんなかのテーブルに、どーんと、本体とキーボード一体型のコンピュータ、PC8001が置いてあった。これがマイコンかー!キーボードを初めてみたときの興奮。あー、これ、「ゲームセンターあらし」のさとるが使っていたやつだ!これでマイコンにいろいろ命令させるのか!全然使い方わからないけど、なんだかわからないけど、すごい!!そう、自分でもよくわからないが、何かわからないけど未知なものをみた興奮があった。

ちなみにPC8001というは、後からいろいろ推理して、あのときの機種はPC8001だったんだろうな、と考えてるだけで、小学生のときの自分にはパソコンの種類などわかるはずもない。

「じゃあ動かすね」K紫くんがなにやらキーボードで入力しはじめた。なにぃ!お父さんが動かすんじゃなくてK紫くんが自分で動かすのか!お父さんが手順を書いてくれた紙をみながらではあるけれど、マイコンに入力できるとは!キーをたたく指も両手でなく一本で、たどたどしく文字を探しながらであったが、こいつスゲエ!!と尊敬したものである。

マイコンが置いてあるテーブルの横にあるソファに座って、ジーコジーコとカセットのロードを待つ。ソファの正面にはモニタ。カラーモニタではない。一色表示のグリーンモニタだ。出てきたのは「マジンガーZ」というタイトル。これがマイコンのゲームかー!パイルダーを操り、画面端のマジンガーZ、といってもGRAPH文字で書かれた四角形のかたまりなのだけど、その場所に合体させるだけのゲーム。自分から弾を撃てず、よけるだけなんだけど、ものすごく感動した。これがマイコンかー!この後、競馬の予想ゲーム、数当て、七並べと次々とプログラムをロードしてゲームを遊んでいった。どれもこれも瞬きをわすれるくらい、食い入るようにグリーンモニタを見ていた。ゲームの完成度、見栄えだけで言えば、ゲームセンターのゲームのほうがはるかに上だっただろう。それに比べて目の前のモニタに広がる世界はあら削りでざらついている。しかし、ざらついているだけにクラフトな感覚がした。遠くの存在でしかなかったテレビゲーム。例えるなら額縁にかざってあるポートレートから、自分たちが好きな絵の具で自由にかける絵のような存在に変わったような気がしたのだ。

今思うと、コンピュータというSFの中
だけと思っていた世界が、自分たちのいる現実とがつながるような感動だったのだと思う。

七並べを動かしているとき、「ピー!」とう音が鳴ってゲームが止まってしまった。ゲームセンターのゲームが止まるとかはありえないので、なんだか、その事さえ興奮した。

「あー止まっちゃったか。お父さんが、これどこか打ち間違えてるって言ってたな」と言うと、K紫くんは本棚から、なにやらごそごそと書類をもってきた。

「これ、このゲームのリスト。これを打ち込むことでゲームが動くんだぜ」

なにやら数字の横に英語がならんでる!おそらくBASICのプログラムリストだったと思うが、小学生の自分には何が何やらわからず、やっぱりコンピュータって頭がいい人が使うもんなんだ!英語とかわからん!そういえば「ゲームセンターあらし」のさとるもIQすごく高いヤツだった。自分が使えるもんじゃないのか・・・と、びびったところで、K紫くんは別のリストをみせてきた。

「このゲーム、すっげえおもしろいみたいなんだけど、入力するのが難しくてさー。お父さんも苦労してるって言ってた」

紙の表紙は、豆か、なすびのようなキャラクターがハンマーを持って、お互いになぐりあうようなイラストが描いてあった。ページをめくると「0D:E8:3F:46・・・」という数字がびっしり並んでいた。16進数のダンプリストである。もちろん当時の自分には????で全くわからない。さっきのBASICもわからなかったが、あれは文字で英語だった。しかしこれは、全く理解ができない。

「これ何?何が書いてあるの・・」

おびえながらK紫くんにきく。K紫くんはやや自慢げに答えてきた。

マイコン使う人は、ここに何が書いてあるのか一瞬で読めるんだって!お父さんが言ってたよ!」

その頃はハンドアセンブルやってた人も多く、そういう技術者などいないとは言わないが、なかなかそういう超人的な人はいなかったというのが現実だろう。冷静に考えて、あのとき自分はK紫くんに一発ホラをかまされたのである。

@まだまだ遠い存在だった
夕ご飯の時間になると、K紫くんの家を出た。この土曜日の午後は本当に今思い返しても一瞬だった。

ちなみにK紫くんは、遊んでる間、自分にはマイコンを触らせてくれなかった。いや、皮肉な意味ではなく、別にそれはいい。それでも充分すぎるほど楽しかったし、自分から触らしてくれ、というつもりもなかった。だって、なんか自分がいじって壊れたら、どうしようもないと思っていたからである。家のお金で払えないくらい高いんじゃないか、とびびっていたからだ。コンピュータというのを初めて見たので、触ることにさえ怯えていた。ある意味怖かったのかもしれない。

実体験としてのマイコンは、なんだか凄くおもしろうそうな世界だけど、これは高価だろうし、難しすぎて自分が使えるもんではないな、というのが正直な感想だった。だから、うらやましい!とか、マイコンが欲しい!という気持ちは沸かなかった。コンピュータという面白い世界がくるんだ、とは感じたけれど、それはたとえば、どこか遠くの隣の国でおこってるような話で、自分の生活の中に入ってくるという感覚は全く持てなかった。K紫くんがバリバリつかいこなしていたら、また違っていたかもしれない。だけど彼の家にあったコンピュータは、お父さんが使うものだった。そして後から聞いた話によると、やっぱり子供には簡単にさわらせてもらえなかったらしい。当時コンピュータは小学生にはまだはやく、使う人達が大人ばかりだったことも遠く感じた理由であると思う。


世の中では、この土曜日のような体験を通して、コンピュータの世界に入っていった人も多いだろう。しかし、自分がコンピュータをさわりだすのは、この82年の出来事から4年後。まだまだ先の話である。

ブログ引っ越し中・・・過去記事を転載(16/03/17)ゲームにもいろいろある PART1

過去記事から転載(16/03/17)

 

project zomboidって正式版出たのかな?

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最近遊んだゲームについての感想なんぞを書いてみる。しかしながら近頃ほんとにゲームしなくなった。嫌いになったとか、興味がないとかいうわけではなく、やりたい気持ちはあるのにプレイしていない。ゲーム機をモニタにつなぐのがめんどくさい、起動時間が長くて待てない、とかいう理由。そんな「ものぐさゲーマー」が最近遊んだゲームはこんな感じ。

Project Zomboid



少し前の事になるが、ゾンビが出てくる海外ドラマ「ウォーキング・デッド」にどんはまりしていたときに、Twitterでフォロワーさんからゾンビならこのゲームですよー、と勧めてもらったゲーム。ゾンビが出てくるドラマや映画って、観ていて「こいつバカだなー。おれならこっち逃げるよ。こんなヤツ置いていくよ!そんなことよりまず食料だろ!」とか、おれならこうするのに!と思ったりする。それができるのがゲームのいいところ。このゲームは斜め見下ろしの視点でキャラを操作し、ゾンビが蔓延した世界で、食料やら道具などを駆使してサバイバルをしていくことを目指す。

このゲーム、steamで有料で提供されているのだが、いろいろな機能がこれから実装される予定になっている。わかりやすく、そして言葉悪く言うと未完成品を売っている。「こういうゲーム作ってて、後からこんな機能追加するよー!だからお金払って!」というのは面白い。未完製品を公開しつつ、お金を払ってもらって意見を聞きながる作るというのだ。多分他にもあるんだろうけど、自分は初めてこういう形式を知った。こんなやり方があるんだな。

すごく面白いソフトなので、ゾンビファンとしては究極のゾンビゲー目指して、果てしなくバージョンアップして欲しいところである。

アトラス2



steamにもポツポツと日本のメーカーが増えてきた。日本の雄、アートディンクの参戦もうれしい。そこで大航海時代を舞台に、貿易と探検による地図作成を目指すゲーム「アトラス」を買ってみた。内容はPC98版をWindowsで動くようにしたものになる。始めてみたのだが・・・

なるほど、わからん。

何をしたらいいのかわからない。いや貿易をしてお金を儲け、探検して地図をつくるという、何をしたらいいか?はわかってるのだが、どうしたらそれができるか?がわからない!貿易する都市をクリックするんだけど、出てくるメニューがわからない。棚に本がならんでいたり、宝箱が置かれていたりと、中世の机の上を模したメイン画面は美しく凝ったデザインなのだが、どこを押したらコマンドが実行できるのか、どれがどうなるのかわからない。もう何回わからないと書いているのかわからない!

昔のゲームなので、チュートリアルも、最近の経営型ゲームでいうなら説明役の秘書もいないので、どう進めたらいいのかわからない。実はアトラスはPC98版の頃から何回かチャレンジしてるんだけど、そのたびに最初の時点でギブアップしてるのだ。めっちゃ面白そうなんだけど、遊び方がわからないんだから仕方ない!

遊ぶにはマニュアルを読み込まないといけないようだけど、そんな気力もなし。ほんとこの頃のゲームに比べれば、最近のゲームの導入部はよくできてますよ、うん。

そういえばPS版にはチュートリアルがあるらしい。今度またチャレンジしてみるか。懲りないねえ。


myオセロ

androidアプリ。これをプレイする前に他のオセロゲームで遊んでいたのだが、連戦連勝だった。もっと強いヤツはいねーのか!と、遊び始めたのが、このmyオセロ。プレイしてみると、つ、強い強すぎる・・・白でプレイしているのだが、盤上が全部黒で埋まるという、のび太のようなウソみたいな負け方を何度もしている。5分で一勝負だし、少し時間があいたとき、(心にすきができたとき、とも言う)寝っ転がってプレイしてしまう。今年一番遊んでるソフトかもしれないなー。なんとか1勝したい。今年中にはね。

倉庫番パーフェクト プラス A面



vectorより80年代パソコンゲームの名作がリニューアルされて発売。押せるけど戻せない荷物を、所定の位置に収めるだけのパズルゲーム。だけどこれが面白い!実はリアルタイムというか、80年代の自分が中高生の頃には遊んだことなくて、最近出たこのWindows版が初プレイなのである。

まあ若い頃は「地味なゲーム、ダセえ!もっと派手なゲーム!もっと3D!マルチメディアでアニメバリバリで、システム複雑なものが遊びたいよぉおおおお」だったわけだが、歳とってくると、シンプルでもしっかり遊べるゲームがよくなってくるわけですよ。

映画でもハリウッドのCGバリバリの映画がある一方で、会話劇だけのドラマもある。若い頃は地味だなー、と敬遠してても、年とるとそういうのが観たくなってくる。つまりはゲームも年齢によってプレイしたいゲームって変わってくるのかなー、とか考える。今後はおっさんがプレイしたくなるようなゲームっていうのもひとつのポイントではないか。もちろん大きく人をつかむテクノロジーの最先端みたいな派手なゲームは大切。でもその一方で、80年代を過ごしたおっさん連中が歳をとってシンプルなゲームをもとめるとき、ゲーム文化はまたひとつ深くなるように思う。

ブログ引っ越し中・・・過去記事から転載(16/01/01)シナリオを読んでみよう!

過去記事を転載(16/01/01)

 

90年代くらいまで昔はシナリオ本とか図書館にいかないと、なかなか目にする機会なかった。今現在シナリオは通販でも買えるし、電子書籍でも出てる。いい時代になりました。

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@シナリオを読もう

「相棒 シナリオ傑作選」を読んだ。その感想を書こうと思ったのだけど、シナリオを読んだことがある人ってどれくらいいるんだろう?という上からの考えを持ってしまった筆者である。そこでみなさんにシナリオ(脚本)を読むことを進めてみたい。

本で物語を楽しむ方法というと、マンガや小説があるが、シナリオという手もある。といっても、なかなか本屋さんでみかけることはないだろう。映画や文芸といったマニアックなコーナーにちょろっと置いてある感じだろうか。そもそも出版数が少ない。だいたいシナリオというものは、映画やドラマなど映像作品の元になるもの。設計図のようなもので、完成品である映像のほうには注目が集まっても、設計図に目を通したいというのは、かなり限られてくるということになる。ラーメンは食べたいけど、スープ造りの過程を見たい人は少ないもんね。ただ、このシナリオと言う形、なかなか読んでみると面白いのです。

@シナリオの形式と特徴
小説は文章、マンガは絵+文字という書式があるが、シナリオは以下のような形で書いてある

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1 駅前の横断歩道(夜)
2   街はクリスマス前で騒がしい
3   横断歩道を渡る洋平(25)と聡子(22)
4 洋平、急に立ち止まって、聡子をみる
5 洋平「結婚してくれないか」
6   聡子、うつむく
7 聡子「すぐに返事はできないな」
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先頭の文字は単なる番号です。
まず1がシーン名。今どこの場所にいるかを表します
2,3,6がト書きというもの。その場所の様子や、人の動作などを表す部分です。
4,5,7が人物の台詞ですね。シーン、ト書き、台詞の三つの組み合わせで物語が展開されていくことになります。簡単でしょ?・・・・すいません簡単すぎてわからない場合は、他の方のサイトですが、こちらでもみていただければ

http://kyakuhonkakikata.com/rulesofscreenplay

さて、みなさんにシナリオをオススメする理由、それはスピーディだということです。小説読んでてかったるく感じることはないですか?たとえば上に書いたシーン、「街はクリスマス前で騒がしい 」ですが、小説で書くとするならば

「街では赤いサンタが道行く人に必死の形相でチラシを配っているが、見向きもされない。ありがたい存在のはずのサンタが軽々しく扱われているのを見て、洋平は苦笑いした。横断歩道を渡る人々には笑顔もあれば、苦虫をかみつぶした人・・・・」

など、描写がまだるっこしいワケですよ。そこがシナリオは違う。「クリスマス前で騒がしい 」と書けば、読んでる人がぽーんと頭の中にクリスマス前の人混みを想像する。そして台詞がくる。テンポのいいスピード感で物語が楽しめるというメリットがあるんですね。※1

シナリオを楽しめる、というのは最近の人が映像作品に慣れているから、というのがあります。これまでに大量の映像を見ていることで「クリスマス前で騒がしい 」という一文で、その光景を頭の中に描ける能力をみんなもっているということ。逆に小説がかったるく感じるのは、映像に慣れてしまっていて、文字を読むというスピードが、感覚にあわなくなっているのではないでしょうか。おそらくラノベ携帯小説など、読みやすい文章が受けている理由もそのあたりにあるのでしょうし、最近の売れている小説の中にも情景描写などがあっさりしているものが出てきているという状況もあります。ドラマのノベライズ版も、台詞主体で文章に凝っているものは少ないです。小説を読んでる人、小説ファンの人には不満があるでしょうが、普段映像しか観ない人に読んでもらう文章となると、そういう工夫もいるのでしょう。

つまりは映像世代が読む本として、シナリオというのは、非常におもしろい存在だといえるのです。

@映像ならではの表現
洋平がポロポーズするシーン。読んだ方はどういう光景を思い浮かべたでしょうか。
洋平のアップ?逆に聡子のアップ?二人を横からみたアングル?それとも上から俯瞰で望遠で?

ちょっと思いつくだけのものを並べてみても、かなりのパターンがあります。そしてひとつだけでなく、それぞれをつなげたり、切り替えたりという流れもあります。

それを実際に形にして、みんなが観れるものにしたのが、映像作品です。映像とはただ単に撮影するわけではありません。たとえば、プロポーズのシーンで、緊張している洋平のアップを撮るか、迷ってる聡子の表情をとらえるか、二人の対照的な姿を同時に収めるかで意味合いが違ってきます。そしてどういう流れでつなげるか。じっくりと二人の表情を映して微妙な心の揺れを表したいのか、上空からというトリッキーな視点でスピード感を持って編集し、コメディのようにするという方法もあるでしょう。

映像の撮り方、流れの切り替え、つなぎで視聴者の感情をゆさぶる。それが映像作品の妙なのです。なかなかシナリオを読むだけではわかりませんが、シナリオを映像化した作品などを観ることによって、撮影した人が映像に込める意味合い、意図することなどにも、ふれてみたいところです。

ヒットしたドラマや映画のシナリオは本になってることも多いので、読んだ後に完成品の映像をみることで、映像表現という面白い世界ものぞけることでしょう

@シナリオ独自の表現と、やっぱり小説も読もう!

シナリオにも苦手とする表現があります。たとえば心の中。シナリオは映像であるため、目に見えない部分は描くにくいのです。※2

上記のシナリオで言えば、聡子は洋平とデートしながらも、まだそこまで洋平が好きなわけでもなく、プロポーズを嫌がっています。これが小説なら聡子の心の声を書くことができますが、映像の場合はそうはいきません。映像はなにかしらの方法で聡子が嫌がってることを伝える工夫がいります。たとえばプロポーズされたときため息をつく、一緒に歩いてるときずっと携帯をさわっている、洋平が話しかけても違う方向を向いている、などで感情を表します。心の中の声は表現できないため、映像では仕草や動きで伝えることになります。

そういうと欠点のようですが、微妙な心の動きを目に見える形にするというのも映像作品の妙のひとつなんですけどもね。

ただ、こういう心の中の表現という点、目に見えない深い心の中を描くという意味では、やはり小説のほうが合っているでしょう。目に見えぬ感情を描き、流れるような言葉の組み合わせで読者の心に問いかける。これが小説の魅力なわけですよ!(最後になぜか、小説派の人へ向けたフォローをいれておく)

最後のほうで、要点が思いっきりズレましたけども、物語を読むというのは楽しいもんです。小説を読むのはちょっとなー、という方。シナリオを読んでみるのもいいですよ。そうすることで、映像作品や苦手な小説のもつ魅力的な世界が開けることでしょう。

本が売れなくなった、読まなくなったというけれど、それは本を読むことがなんだかえらそうで、大変なことだとみんなが思ってしまったこともあるでしょう。

形式にこだわらず、読みやすいものから読んでみればいいのです!

※1・・・こういうこと書いてますが、自分、小説派です。

※2・・・映像でもモノローグで心情を語らせるという手法もあります。「北の国から」の純の「父さん、そのときボクは・・・」というやつです。